2013/06/22

兼好法師が友達にしたい人-僕の小規模な嘆きその9

・ルールを破りたかった話
レギュラー記事する気もないのに勝手にレギュラー記事化しつつある
「僕の小規模な嘆き」は実は1日1記事掲載というどうでもいいルールが存在している。
この記事も明後日(つまり日曜日)に投稿するつもりだったけど
金曜の夕方は狂ったように兼好法師の友達にしたい人したくない人の解釈をネット検索しまくっていたので、
長々と割と自分の中で満足した記事を書くことが出来た。

その、何が言いたいかというと、
「兼好法師が友達にしたい人」の項目をとにかく公開したかったので
あえて一日一記事ルールを破ったということです。

だからこの記事を読む時はぜひ「兼好法師が友達にしたい人」の項目を読んでいただきたい。
その他の記事も読んでいただきたいが、案外長いのでそれを読んだ後にその他は読んでもらっても
いいじゃないかということで。



・人生で失敗しそうな人の話
クイズ番組でちょっと難易度の高いクイズに自分は正解して、
正解できなかった画面の向こうの回答者を
「こんな問題もできないのかよー、馬鹿だなw」
って1人テレビを見ながら馬鹿にするような人は
たぶん人生の何処かで失敗しそうな気がする。

と、数ヶ月前重松清『疾走』を読んだ時に思った。


・携帯を変えたくなる時の話
スマホを持っているのが当たり前になりつつあるご時世、
未だに自分はガラケーで、
当分ガラケーを手放さないと思いますが、
メールを打つ時に「どうしよう」と打ちたいのに
ガラケーの予測変換の第一候補が
「どうしょう」と微妙な変換をしてくると
ガラケーを手放して、スマホを持ちたくなります。


・兼好法師が友達にしたい人の話
兼好法師の「徒然草」第117段では、

「友とするに悪き者、七つあり。一つには、高く、やんごとなき人。二つには、若き人。三つには、病なく、身強き人、四つには、酒を好む人。五つには、たけく、勇める兵。六つには、虚言する人。七つには、欲深き人。

よき友、三つあり。一つには、物くるゝ友。二つには医師。三つには、智恵ある友。」


(現代語訳)
友達にするにはふさわしくない者は、七種類ある。

一つ目は、身分が高く住む世界が違う人。
二つ目は、若い人。
三つ目は、病気をせず丈夫な人。
四つ目は、飲んだくれ。
五つ目は、血の気が多く戦闘的な人。
六つ目は、嘘つき。
七つ目は、欲張り。

良い友達には、三種類ある。
まずは、物をくれる友達。次は、医者。最後に、賢い友達。

という今にも通用する友達の条件を述べている。
自分なりに解釈してみたいと思う。

1つ目の高くやんごとなき人。
これは貴族社会に身をおいた後に隠遁生活に入った兼好法師ならではの意見だと思う。
プライドの高い貴族同士の嫌なところを見てきているとそう思わざるを得ないかなと思う。
類は友を呼ぶというし、格差のある友達と付き合うよりは身の程をわきまえた友達付き合いが長続きするし、気の置けない仲になるということを言いたいか。

2つ目の若き人。
20代の自分にしては違和感がある項目だが、
若い人とタッグを組むことがあれば、経験不足から足を引っ張られてしまうという
中高年にさしかかった兼好法師ならではの考えあってのことだと思う。

3つ目の病なく身強き人
これも一見違和感ある項目だけど、
病気のように人生で困難な経験をした人は、優しさや気遣いを持てることができるけれど
病気一つして来なかった人生イージーモードの人間は、人の気持ちを理解するのは難しいし
いざというときには頼りにならないんだと思う。

4つ目の酒を好む人
兼好法師は酒を飲む事自体は否定していないし、他の段(175段)で酒で失敗した事例をいくつか引き合いに出している辺り、酒を飲んで周囲に迷惑をかける人のことを言っているんだと思う。

5つ目のたけき勇める兵
猪突猛進型というか、周囲を気遣わず自己中心的になるところが兼好法師にとってアウトなのかもしれない。
ソルジャー型という、現代でいうところの体育会系という解釈もできなくもないが、
兼好法師の時代は
まだ戦は個人同士の活躍によるところが大きかったので、体育会系のような組織に染まりがちな
タイプと言うよりも、自分の利益を追求しがちなタイプのことを指すと思う。
でも一つのことにまっすぐになりすぎる点では、体育会系は現代版「たけき勇める兵」に該当するのではないだろうか。

6つ目の嘘言する人、7つ目の欲深き人は友達というより人間として付き合いは避けたほうがいいというタイプに分類できるだろう。
孔子の論語にも「おべんちゃらを言う人」は友だちとしてふさわしくないと語られているので、兼好法師はもしかしたら、そこを参照したのかもしれない。

逆に友達にするといい人の共通点は
相手のことをよく知っていて、しかも思いやってくれる存在という点である。
ものをくれる人は相手を知った上でものをくれるし
医者だと相手を知らないことには仕事ができない。
知識を授ける人も、自分の知識を分けてくれるという思いやりがある。

結局のところ、思いやりがあって相手のことを知っている人が友達としてふさわしく
自分のことしか考えられないうえに人生経験が少ない人間は友だちとしてふさわしくないと
いったところか。

いつか自分で考えた「友達にしたい人したくない人」をまとめたい。


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