・「たけく勇める者」の分析の話
兼好法師が友達にしたくない人に「たけく勇める者」を挙げた理由について。
第80段によると、その理由は
1,時運に乗れば誰でも勇者と名乗れるから
2,勇者と評されるのは死んでからなので生きている間は評価されないから
3,獰猛で行いが荒いから
という。
兼好法師にとって「たけく勇める者」とは
この世において実体のない存在と頭では理解しつつ、本能的に嫌ってもいた存在であったと
いえるんじゃないかと思う。
一読して即座に分からなかったもののうち、まだ「若き人」がよくわからない。
もう少し読んで手がかりになりそうなものを探したい。
・『徒然草』の使い方の話
哲学に詳しいと呼ばれる人は、ある哲学者一人の著書を読みつくすらしい。
専門知識を深めるためと、
答えに窮した時に「○○(哲学者の名前)は言っていたんだけど」と逃げる準備をするために
読みつくすそうだ。
この「○○は言ってたんだけど」と言うのは実に便利だと思う。
自分の意見は言わないで他人の言葉を紹介しているだけなのに、さもその人の知的レベルが高いかのように見せつけることができるからだ。
『徒然草』は↑のような使い方をするには誠に手軽で、すぐに効果を発揮できると思う。
そのメリットは
・学校の授業で習ったことがある古典なので誰でも知っている
→聞いたことがある名前なので大抵の人はありがたがる
・243段しかなく、一段一段が短い。よって内容を頭に入れるのに時間がかからない。
・何百年前の古典故、複雑な解釈を行うことが難しい、言い換えると自分流の解釈もある程度許される
ということが挙げられる。
・「がんばれ」という言葉に思うことの話
「がんばれ」という言葉を自分や他人に無闇に使いたくない。
すでにがんばっている人がさらにがんばれと言われて余計なプレッシャーになるというのもあるし、
実はがんばれという側は何も考えずに言っているので、
応援の言葉になっていないという実情がある(大体別れの場面で使うことが多いので、さようならに代わる新種の挨拶なんじゃないかと思う)
それからがんばれという言葉にどう頑張ればいいのかという疑問が入り込んで
励ましの言葉や、努力の宣言になっていないと思う。
言い換えるなら「できることをやる」という言葉だと思う。
しかし「できること」を言い訳に何もしない状態にならないよう、注意スべき必要があるというのは
わざわざ言うほどのことではない。
・列車が高架を差しかかるといつも気にしてしまう話
列車に乗って、地上から高架に上がろうとするとき、
さぁこれから高架だ、どこから高架に上がっていくかなと思いながら
線路の角度をじっくり観察するんだけど、
いつのまにか高架に入っているものだから悔しくなる。
この悔しさは時計の針をじっと見ていたのに
いつの間にか大きな針が動いていたことに気づかなかった時の
悔しさに似ている。
・「王国」の話
それぞれに「王国」(その人の核となる思考や趣味のこと)があると思うと安心し、
自分には「王国」があるのか、自分はいつも主のいない状態じゃないかと不安になりながら問いかけると、
これ!と自信をもって言えるものはないけど確実にあると感じ、
その度に少し安心する。
0 件のコメント:
コメントを投稿