2013/08/05

ラピュタパン-僕の小規模な嘆きその22

・ラピュタパンの話
先日ラピュタを見た。
ラピュタがあるから見たと言うよりは、そういえばラピュタが今日はあるな、ちょっと見てニュースウオッチ9に変えようかなと思いながら見て最後まで見てしまった口だ。

男の子の名前がシーターと思っていたらパズーが正しかったり、
パルスじゃなくてバルスが正しかったり
バルスを唱えた後もストーリーがしばらく続くかと思ったら終盤の終盤であっという間にエンディングに向かってしまっていたり
久々に見ると、いろいろうろ覚えだったところがボロボロ出てきて
そんな記憶を修正しながら見るラピュタは面白かった。

パズーが作る目玉焼きを乗せたパンは地下坑道の中で食べるというのも
うろ覚えの記憶を修正する場面だった。
(パズーの家で平和に食べるものだと思っていた)
そして、そのパンは「ラピュタパン」という名前でウィキペディアにも載ってるということも
ラピュタを見て初めて知った。

考えてみれば、目玉焼きをパンに載せるという料理はあまりに単純すぎて
名前なんて永遠につかないのが普通だろうけど
ラピュタに出てきたから「ラピュタパン」と名前を与えられて
ウィキペディアに載るもんだから、ラピュタの力立派なものだと思った。

そういえばクマはジブリの作品の中でラピュタが一番好きで、
幼稚園の頃から何度も見てきたと言っていた。
今日パズーを見ていてなんとなくラピュタが大好きな理由が分かった気がする。
それにしても幼稚園のころのクマはラピュタを見てどう思ったのか、
なぜか妙に気になる。


・あれ?このブログを意識している?の話パート2
以前、書き方が自分のブログを意識して書いてんじゃないの?っていう内容で
クマのブログを取り上げたことがあった。そのパート2

最近のある日の記事にこの「僕の小規模な嘆き」のごとく
「~の話」で始まるコラム的記事が投下されていたのだ。
これはこのブログを意識して書いたに違いない、
と近い内に確認したいなぁと思っている。

ところで書き方を意識してブログ記事を書いたんじゃないの?と実際に聞いてみたら
そんなことはないと一蹴されてしまった。


・価値観の話
「行き着く先は同じさ」
復学して久々にジャズ喫茶の配信を聞いた時に主人が語りかけたメッセージの一部である。
心に残った1言なので、過去配信をさかのぼって聞き直し、何度か聞いたこともある。

以前ジャズ喫茶に関する記事を投稿してから何度かバーチャルのジャズ喫茶を訪れている。
音楽の紹介はもちろん、主人の話にも心惹かれるのでよく訪ねている。

主人が語る人生とは、仏教に根ざした話が多い。
それに惹かれるのはなぜだろうと考えてみた。

それに惹かれるのは、自分が日本人だからなんじゃないかとおもう。
西洋の価値観に触れる前に、日常生活や学校生活で昔の日本人の価値観に触れる機会が多いから
仏教や儒教など東方的な価値観に親しみを抱くようになっているんじゃないかと思う。

一方西洋の合理主義とか言う価値は、中学高校の公民の授業で習うような形で、
詰め込み教育で覚えさせられたところがある。
哲学者の名前や、哲学主義の名前とか覚えさせられて、それもまたむずかしいものだから
どうもしっくり来ない。

これが古典とかを読んだり、日常生活の中で知らないうちに教えられたら
西洋的な価値観もすんなり入るんじゃないかなーなんて思う。

スマートに生きるには西洋的な合理主義・個人主義とかは必要だと思うし
身につけて世の中をスイスイ行きたいなと思うけれど
我が道をいく、目上の人を尊重する、古いものを大事にするというような日本・東洋的な価値観
もまた、身に染み渡っているだけあってなかなか捨てられない。




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