2013/08/31

ちょっと気恥ずかしい(154日目)

8/30(154日目)
クマが東の方に旅行に出かけた。
何年ぶりの旅行なので道中随所で実況していた。

知恵袋に久々に登録し、質問をいくつか投稿した。
割とガチで知りたいことばかりなのでいい回答が来ないか楽しみである。

昼前から雨が降り始めた。
朝ごはん代わりにファミマのおでんでも食べようかと思ったが、それはやめた。

夕方頃どうしても行きたくなり、
小雨に落ち着いた頃に近所のファミマへ。
味はまぁまぁだった。大根がイマイチ染みておらず、総合評価では普通といったところか。
今年に入って大根のしみたおでんに出会えていないのが残念である。

夜「パイレーツロック」を急に見たくなり、
GEOまで自転車を飛ばす。
色々物色していると、ジャッキーチェンの作品を久々に見たくなり、
「シャンハイ・ナイト」と「シャンハイ・ヌーン」も合わせて借りた。

うち、「シャンハイ・ヌーン」を見る。
舞台が香港からアメリカ西部に移ってもジャッキーはかっこいいなと惚れ惚れした。
でもアクションはやっぱり市場の雑踏のなかでやるのを見るのが一番好き。

ネットをふらふらとしていたら、以前若いころの母親が働いていた頃の工場の様子が気になり
しばらくそれを調べるのに没頭していた。
昭和50年頃の航空写真が見つかり、グーグルマップでの今の様子と比較しながら
あぁこんな感じなのかとしばらく見いいっていた。
この写真を印刷して実家に送ろうかとも思った。
ちょっと気恥ずかしい。


2013/08/30

福満しげゆきファンの分析-僕の小規模な嘆きその31

・流行り物の楽しみ方の話
流行り物はちょっと流行のピークを過ぎた後に手を出すのがいいと思う。
その理由は
・楽しむべきポイントがはっきりしているので、効率よく流行りものを楽しめる
・みんな飽き始めているのでレアアイテムも手に入れやすくなる
ということが思いつく。


・前から心がけているけど忘れてしまいがちな話
今日はじめて○○するということを
どんなに些細なことでも意識すると常に新鮮な気持ちで一日を過ごせるということを
ネットかどこかで知ったか、自分で思いついたかして
意識してそのように考えることにしてきた。

最近はそのことを忘れてしまいがちになっているので
記録も兼ねてあらためて書くことにした。


・福満しげゆきファンの話
2ちゃんにいる福満作品を見守る人は大体2グループに分かれていて
「今書いているエッセイ漫画は面白く無いのでストーリー漫画を待望するグループ(小規模な失敗派)」

「妻が好きなのでエッセイ漫画家としての福満しげゆきに期待するグループ(うち妻派)」
がいるんじゃないかと思う。
2ちゃんを見る限りどっちかというと失敗派が多い気がする。

自分は妻が好きだし、同じくらい福満しげゆきも好きなので
少数派の、うち妻派に入ると思う。

ところで最近立て続けに出しているコラム本(のうちの小規模な経済学)を読んだ感想だけど
あまりにさらっと読めてしまって困った。
もう少し読み応えのあるものかとおもいきや、経済の知識は編集者からの受け売りという体で話が進んでいて、文章の何分の一かがそれで占められているので筆者の意見が埋没してる感がある。
ネットの怪しい知識でもいいから、筆者1人で作った文章を読みたかったなというのが感想。

今「小規模なコラム集」が出ていて買うかどうかどうしようか迷っている。
たぶん買うと思うけど。

ファンという話題でもう一つ。
Amazonの「小規模な経済学」レビューで
福満口調でレビューを書いていた人のようにはなりたくないなと思う。

関係ないけどマンガついでにもう一つ。
自分は前から「ワンピース」を全巻ほしいなと思う。

ワンピースが好きだから欲しい、じゃなくて
「インテリア」として欲しいのだ。
よくわからないと思うので説明すると、自分の部屋はゲームもマンガもほとんどないので
来客があった時に暇つぶしとか、部屋を見渡して話題になりそうなめぼしいモノというのが
存在しない。
なのでワンピース全巻あれば、ワンピース全巻あるじゃんという話で1分くらい時間がつぶせそうかなという期待と、話題が途切れてもワンピースを読んでくれたらいいなという期待(こちらのほうがデカイ)があるから欲しい。

あと、人からまっとうな20代だなと思われそうなのでほしいという理由もある。

こういうと、友達は「人の目を気にしてんじゃん」って笑うだろうな。



歌姫の条件-僕の小規模な嘆きその30

・歌姫の条件の話
自分が歌姫だ!と思う人に
熊木杏里と池田綾子という二人の女性がいるんだけど
2人の共通点を考えた時
・声が透き通っている
・自ら作詞作曲している(つまりシンガーソングライター)
・恋愛ソングばかり作らない
という3つのことが思い浮かんで
これが自分の中の歌姫の条件にそっくり当てはまるんじゃないのかと思えてきた。

熊木杏里に関してだけど
彼女の「夏のきまぐれ」という曲は
夕方どちらの時間帯のことを歌ったものだけど、
無音の世界が広がる日の出前の夏の朝に聞いてもしんみり伝わってくる。

この曲は帰省のために日が昇る前に家を出る時にBGMとしてどうしても聞きたくなる曲である。


・最近のAFPニュースの使い方の話
昔のAFPニュースの自分の活用法は
面白い記事を見つける→ブログに転載→自分の感想を添える
というパターンだったけど全然それは長続きしなかった。

ブログに転載するのも面倒なら、感想を書くのも面倒だったからだ。

でもAFPニュース自体は面白いので、2日に一回のペースで見ている。
最近はサイトの会員登録をしてマイページを作ることを覚えた。
マイページを作るとクリッピングという機能を使うことができる。
クリッピングはクリックひとつでできるのでマイページの中にお気に入りのニュースが溜まって
それを見返すことができる。

今マイページには、シャクルトンの冒険に関する記事や香港のラバーダックに関する記事が
ある程度まとめられて放り込まれている。


・スマホは便利だうれしいなの話
スマホのする時にちょっと気にしていたことがあった。
それはリスモの「聞かせて検索」が使えなくなるんじゃないかということ。

この「聞かせて検索」というやつは非常に便利で
楽曲を携帯に聞かせればその楽曲が誰が歌ったなんという曲かと教えてくれるシロモノだったから
いい音楽がないかと(人の悪口並に)耳を尖らせている自分にとっては大変良い機能だった。

それは杞憂に終わった。
スマホにしても、楽曲検索のアプリはあり、それを落とせば充分その役割を果たしてくれる。
しかもこのアプリのいいところは以前はできなかった、PC音源からの検索もできるうえに
インストゥルメンタル曲も検索できるという能力向上の点。
自分はジャズ配信をよく聞いているので、ちょっと気になった時にこのアプリを起動させれば
ほとんどの確率で曲名を教えてくれるから本当に便利になったもんだなと思う。


徒然草の使い方-僕の小規模な嘆きその29

・「たけく勇める者」の分析の話
兼好法師が友達にしたくない人に「たけく勇める者」を挙げた理由について。

第80段によると、その理由は
1,時運に乗れば誰でも勇者と名乗れるから
2,勇者と評されるのは死んでからなので生きている間は評価されないから
3,獰猛で行いが荒いから
という。

兼好法師にとって「たけく勇める者」とは
この世において実体のない存在と頭では理解しつつ、本能的に嫌ってもいた存在であったと
いえるんじゃないかと思う。

一読して即座に分からなかったもののうち、まだ「若き人」がよくわからない。
もう少し読んで手がかりになりそうなものを探したい。


・『徒然草』の使い方の話
哲学に詳しいと呼ばれる人は、ある哲学者一人の著書を読みつくすらしい。
専門知識を深めるためと、
答えに窮した時に「○○(哲学者の名前)は言っていたんだけど」と逃げる準備をするために
読みつくすそうだ。

この「○○は言ってたんだけど」と言うのは実に便利だと思う。
自分の意見は言わないで他人の言葉を紹介しているだけなのに、さもその人の知的レベルが高いかのように見せつけることができるからだ。

『徒然草』は↑のような使い方をするには誠に手軽で、すぐに効果を発揮できると思う。
そのメリットは
・学校の授業で習ったことがある古典なので誰でも知っている
→聞いたことがある名前なので大抵の人はありがたがる
・243段しかなく、一段一段が短い。よって内容を頭に入れるのに時間がかからない。
・何百年前の古典故、複雑な解釈を行うことが難しい、言い換えると自分流の解釈もある程度許される
ということが挙げられる。


・「がんばれ」という言葉に思うことの話
「がんばれ」という言葉を自分や他人に無闇に使いたくない。

すでにがんばっている人がさらにがんばれと言われて余計なプレッシャーになるというのもあるし、
実はがんばれという側は何も考えずに言っているので、
応援の言葉になっていないという実情がある(大体別れの場面で使うことが多いので、さようならに代わる新種の挨拶なんじゃないかと思う)
それからがんばれという言葉にどう頑張ればいいのかという疑問が入り込んで
励ましの言葉や、努力の宣言になっていないと思う。

言い換えるなら「できることをやる」という言葉だと思う。
しかし「できること」を言い訳に何もしない状態にならないよう、注意スべき必要があるというのは
わざわざ言うほどのことではない。


・列車が高架を差しかかるといつも気にしてしまう話
列車に乗って、地上から高架に上がろうとするとき、
さぁこれから高架だ、どこから高架に上がっていくかなと思いながら
線路の角度をじっくり観察するんだけど、
いつのまにか高架に入っているものだから悔しくなる。

この悔しさは時計の針をじっと見ていたのに
いつの間にか大きな針が動いていたことに気づかなかった時の
悔しさに似ている。


・「王国」の話
それぞれに「王国」(その人の核となる思考や趣味のこと)があると思うと安心し、
自分には「王国」があるのか、自分はいつも主のいない状態じゃないかと不安になりながら問いかけると、
これ!と自信をもって言えるものはないけど確実にあると感じ、
その度に少し安心する。


眠気もつらいが、どっちかというと背中のだるさのほうがつらい(146日目~153日目)

8/22(146日目)
5ヶ月ぶりくらいに髪の毛を切りに行った。
髪を切ったおかげですっかり頭が軽くなった。

明日長崎の実家に帰るという友達が自宅に来て、青春18きっぷを譲った。
切手を集めているという話から人(女子)に受けのいい趣味は何かという話になる。
アウトドア編では野外フェス参戦とクラブが2強として君臨していることを確認し
インドア編では料理が暫定頂点と確認した。

友達に「僕の小規模な経済学」を貸す。

8/23(147日目
3時過ぎ、1人で家にいるというクマと話した。
昼にクマと話したのは久しぶりのことだった。

明日は卒業した大学の友達とほぼ1年ぶりに会う。
明日のことを考えたせいか、なかなか眠れず吐いた。
吐いたといっても大して食べていないから、胃液しか出てこなかった。

8/24(148日目)
落札した切手が届く。
たくさんあるのにほとんど同じ図柄ばかりだった。
昭和の切手よりも平成に入ってからの80円・50円切手を多く集めたい。

夜、卒業した大学の同級生と飲んだ。
会う前は行きたくないなと思っていたけれど、びっくりするほど何もなかった。

飲み屋で飲んで、ゲーセンで遊び、カラオケ店で3時間ほど歌った。
飲み屋は食事が美味しく、酒よりも食事が進んだ。
チャーハンが美味しいので、同級生は店の人にレシピを教えてもらっていた。
その大胆さというか、自分にはない誰とでも接することができる能力の高さに
ただただ驚かされた。

カラオケ店では自分以外の人が予想以上に歌がうまく、最後は尻込みしてしまった。

2時前に帰宅し、その後就寝。
雨が強く降っていた。

8/25(149日目)
久しぶりに涼しい一日だった。
涼しくてクーラーを積極的に使わなかったし、自転車で移動しても
暑さで不快に感じることもなかった。
とはいえ、最高気温は30度を超えるので相変わらず「夏日」なのだ。

昨日飲んだレモン酒が美味しかったので
高かったけど思い切って買った。

氷を作って、ひんやり冷やしたレモン酒を注ぎ込んで飲む。
一気に体がぼおっと熱くなった。

昼飯は明太パスタを作る。

ターボフライというレーシングゲームのアプリをダウンロードして遊ぶ。
スマホを傾けるだけの遊びだけど、シンプルなだけに奥が深いゲーム。

8/26(150日目)
長いことペッドボトルのミネラルウォーターを飲んでいて、ついにというかやっとというか
それぞれの水の違いを発見した。

8/27(151日目)
最近はスマホのラジコというアプリを起動してラジオを聞くことが多い。
YouTubeで好きな音楽を聞くのもいいけれど、YouTubeは途中で動画が途切れてしまうので
かけっぱなしにできるラジオがいい。

気になる曲があれば楽曲検索のアプリを起動して検索すればいい。
本当に便利になったものだ。

この日は久しぶりにスクールオブロックを聞いた。
高校の頃はよく聞いていた番組だったけど、一人暮らしを始めてから(ラジオを持たなかったこともあり)全然聞いてこなかった。
まともに聞くのは5年ぶりくらいだったけど、基本的なコーナーは変わっていなかったので
少しホッとした。

ガールズロックスに能年玲奈が出ていた。
女優スイッチの入っていない状態ではどんなテンションでしゃべるのかと思って聞いてみたら、
ボソボソとしたしゃべり方で、あの明るい天野アキとは全く違うしゃべり方に
じぇじぇじぇと思わずにいられなかった(じぇじぇじぇと声に出さない、テレビやラジオに向かってひとりごとをいう人の気持ちがイマイチ分からない)

音楽ついでにいうと、最近好みのジャズ配信がめっきり配信されていない。
盆を境に急に配信されなくなった。
一応配信開始を待ってはみるものの、何もなく終わるという日が続いている。

8/28(152日目)
図書館で相沢菊次郎という人の日記について書いた本を見る。
何十年も欠かさず日記をつけていると、このような形で本になることもあるんだなーと思うと
なぜだかこの日記をつけるモチベーションみたいなものも湧いてきた。

20時、帰省した友達と食事に行く。
その前に空腹に耐えかねて明太子パスタを食べたので、サラダを食べただけだった。

長崎から帰ってきたのでおみやげにカステラをもらう。
思った以上にずっしりきて、これは安物のカステラではないぞと思った。

その後いつものように友達の家に移動して
数時間しゃべる。
竪穴式住居はどうして地面に穴を掘っていたのか、とか「小規模な経済学」評など、
いつものようにあーでもないこーでもないということを話した。

いつもそうだけど何を話したかは全然覚えていない。
共感したり、言いたいことがうまく表しきれず不完全燃焼に終わったなと感じたことは
しっかり覚えているんだけど。

8/29(153日目)
今日も図書館に行く。
図書館に行くと言っても大した勉強はせず、参考になる本を見つけて拾い読みし
これは使えそうなものだと思った本を数冊借りただけ。

帰りにファミマでおでんを買う。
ファミマのおでんは正直ないなと思っていた。
セブンのおでんこそ、出汁が美味しくてコンビニ一うまいものだと思ってきた。
でも昨日のセブンで買ったおでんを食べて以来、その考えは揺らぎつつある。
そして今日買ったファミマのおでんのウインナーとうどんを食べて
ちょっとこれからはおでんはファミマで買うことにしようかなと思うようになったのだった。

昨日友達にもらったカステラを食べる。
松翁軒という有名なところのカステラ。
過剰包装かというくらいの包装をとると、茶色と黄色の鮮やかなカステラが出てくる。
特に黄色の鮮やかさには驚いた。

実食すると、しっとりとした甘さとちょっとモテっとした食感が口に入ってくる。
これはお茶と一緒に飲みたい!と思わずにいられない美味しさ。
小麦粉とザラメと卵しか使っていないというのも気に入った。

クマが明日から3日間の旅行に出かけるので
このところ全然書いていなかったブログ記事をアップしようと
せっせと書いた。
今回の記事はいつもより固有名詞が多い気がする。

眠気と背中のだるさに襲われる。
眠気もつらいが、どっちかというと背中のだるさのほうがつらい。

2013/08/22

でもここにいる以上、単行本が出ない限りその全容は読むことは出来ない(141日目~145日目)

8/17(141日目)
明日帰ることになった。

実家でもらった日用品や食べ物を箱詰めしてゆうパックで送る。
ありったけのものをボストンバッグに詰める必要がないから
帰りの荷物が重くならなくて良い。

夜は刺し身をたらふく食べた。
一人暮らしをしていたら刺し身なんてとてもじゃないが食べられるものではない。

8/18(142日目)
再び自宅に戻るために実家を出る。

バスの始発に乗って大きな駅に行き、駅弁とおみやげを買って電車に乗る。
行きと同じで13時間近い旅だったけれど、
電車は遅れることも止まることもなく帰ってくることが出来た。

最寄り駅につくくらい前から頭が痛くなり、目が疲れているんだろうということで蒸しタオルを
目の上に乗っけて横になっていたらいつの間にか眠ってしまっていた。

8/19(143日目)
昨日の疲れの残りがあったので一日中家で休んでいた。
頭痛は回復した。

スマホのアプリのパワプロクンが面白いのでそれをベッドでやっていた。
操作が下手くそなものだから自分のチームは他のチームにボロ負けすることばかりだったけど
ストレート狙いでガンガン打つことにしたら、コツをつかんだせいか多少勝つことができるようになった。

ピグのアプリを入れてしばらくコインの使い道に迷っていたけれど
ようやくコインを消化することが出来た。
以前と比べてピグに対する情熱が明らかに落ちている。

8/20(144日目)
夜クマと少し話した。
少しつかれているようだった。

午後カウンセリングに行く。
自分は話し言葉や文章で自分が考えていることを表現する時、言い方ばかりにこだわる余り肝心の伝えたいことを軽視気味であることが分かった。
ただ、この日は少し難しくなったので後半は頭をひねってばかりだった。

友達の家におみやげを届けに行った。
おみやげの量がすこし多いからどうかなと思っていたけど、すごく喜んでくれていたのでこちらも嬉しくなった。
例によって色々話をしたが、自分が眠くなったのでいつもよりも早めに切り上げて帰った。

8/21(145日目)
終日家にいた。
ブログを書こうと思ったがだいぶ時間がたっていて思い出せないものもあるので
どうにも困った。

故郷の新聞を持ち帰っていたので、それを読んでいた。
こちらで読む地方紙よりも、ずっと頭に入ってきて読みやすかったし、読んでいて楽しかった。

休学期間中に毎日楽しみにしていた新聞小説はまだ連載が続いて、急に続編を読みたくなった。
でもここにいる以上、単行本が出ない限りその全容は読むことは出来ない。




2013/08/15

帰りたくない、っていうやつ(137日目〜140日目)

8/13(137日目)
朝4時半から家を出て始発電車に乗る。
青春18きっぷで1日かけて帰省するためだ。

長い電車の旅だったけど、電車は遅れも止まりもせずゴトゴトと進み、特にすることのない自分は景色を眺めたり、バッグに入れた徒然草を読んでいた。
後は後でブログの記事にしようと思ったことを手帳に書き留めていた。

夜も大分遅い時間になって実家に帰りついた。
妹がスマホに機種変更するから一緒にどうかと言われる。
そこまで考えなかったけど、急にスマホが手元にはいると思うとそんなに欲しくなかったものも欲しくなってきた。

8/14(138日目)
スマホのパンフレットを電器屋でもらう。
最初はiPhone一択だったけど、価格の高さから断念し、電池の持ちのい
いAndroidを選ぶことにした。

夕方親戚の家に行く。
久々に親戚一同が集まった、楽しいバーベキューだった。

火起こしと焼き番をやっていると、汗が出てたまらない。そんな時にビールを飲むとおいしい。
やっとビールのうまさを理解した。

8/15(139日目)
ついにスマホを手に入れた。
初めは最新機種がほしかったけど、値段が高いので、1つ前の型のものにした。

初日はスマホの入力に悪戦苦闘し、
LINEやツイッタ−などのアプリをダウンロードすることに費やした。

時々ふっと自分がスマホ持ちでいいのかと罪深い気持ちになった。

夕食は煮込みハンバーグを作った。家族に好評だった。

8/16(140日目)
逆転裁判や人生ゲームのアプリをダウンロードして暇さえあれば遊んでいた。
スマホは色んなアプリが入っていてそれを探すだけでも楽しい。

それにしてもスマホはびっくりするほど電池が無くなる。
前の携帯の電池の減りが早いから、新しくしたらこの問題が解決されるかと思っていただけにがっかりした気持ちになった。

近くで切手の企画展をやっているので見に行った。
誰も来ていないこともあって、おじさんが大体のことを説明してくれた。
展示は何百万円もする明治時代の切手など貴重なものばかりで、ひとりでじっくりと見ることができた。

おじさんたちが、自分のコレクションも展示したり、好きな音楽をかけながら気ままに過ごしている様子も良かった。
展示の仕方は整理されたものじゃなかったからガチで集めている人から見たら、怒るかもしれない。
けれど、かつての切手少年だったおじさんたちが背伸びしないで好き勝手にしている様は、自分にとってはこういうスタイルで集めていいんだという安心感と、何十年後もこうして気ままに集めていたいなという憧れに似た気持ちをもたらした。

久々に不安感からくる、興奮やムカムカした感じで眠りに就けなかった。
環境が変わろうとすると、大体こうなる。
帰りたくない、っていうやつ。

戦争が近づいている-僕の小規模な嘆きその27

・戦争が終わった日に思う話
先日考えたこと。
非常にデリケートなことだけど、どのような意見であれ個人個人で考えを持つべきことなので考えることにする。

戦争が終わってもう68年が経とうとしている。
68年も経とうとすると、戦争はもうイヤだというメインの主張の中に戦争をできる国に作り変えようという主張も目立ってくる。
68年過ぎると敵を作って生き生きとしようという人間の本性も表れてきたんだろう。

今の日本は周辺にナメられているから強くなるべきだという主張も、もうあんな災禍を繰り返してはならないという主張もどちらも理解できる。

ただひとつ言いたいのは、命を投じる覚悟を以って、国を愛する心を持つ気持ちを持つべきだと思う。
実際幕末の志士や明治から昭和の軍人はそうだっただろうし。
戦争にできるような国家にしようと主張している人の一部に戦争に行きそこねた政治家や単にリアルの世界で居場所のないと感じる若者が混じっているのが気になるところである。
この人達が果たして本当に戦争になった時に真っ先に戦場に向かってくれるのだろうか。
血気盛んな若者は自ら飛び込むだろうけど、戦争に行きそこねた政治家は(自分は無理としても)息子や孫を真っ先に送り出そうとするだろうか。
口先だけで結局何も意見しなかった人々が流れのままに戦場に送られることだけは許されない。
ぜひ時の権力者の息子や孫は例外なく戦場に真っ先に向かってもらいたいと思う。

ところで自分は果たして愛国者なんだろうか。
そんなことはどうでもいいだろう。徴兵されて戦場に連れて行かれたら問答無用に愛国者になってしまう運命なのだろう。

それにしても今の日本は大変恵まれた国だと思う。
どんな人でも食べ物と飲み水には困らないし、情報も得られ放題。
海外には大概の地域には行けるし、日本人であることが尊敬されるステータスである地域もある。
こんな現状が戦争を始めても維持されるのだろうかと思うと、もったいないなと思う。


・あえて文字として記録する大事さを痛感させられた話
ずっと前からだけど、YouTubeで気になった音楽は再生リストに入れて
後で消えるようにしている。

ところがその音楽がある日突然消えていることがある。
違法にアップロードされたとかなんとかの理由だろうと思う。

音楽が聞けなくなるというのは困ったことだけど、困ったことはまだある。
それは気に入っていた音楽の名前が分からないということだ。

なんとなくいいと思った曲をホイホイ再生リストに放り込んでいることが多いので
曲名を覚えていない場合も多い。
何度か再生する中で曲名を頭に入れるという感じだ。

だから動画が消えてしまうとタイトル(曲名)が分からなくなるから
どんな音楽だったか思い出すかしない限り、「イイ!」と思った記憶がなかったことに
なってしまう。

だからついこの間から再生リストにある曲名は
別に名前を書き留めておくことにした。
そうすればもうこんなこともなくなると思うからだ。



2013/08/14

未来にある新しい学問-僕の小規模な嘆きその26

・未来に誕生する学問の話
学問というのは、その時代ごとに新たに追加されるものだから
百年後には今の世の中には予想もしなかったような学問とか、今の世の中ではスルーされるようなことが立派な研究対象になっているかもしれない。

自分が百年後には普通に研究されている学問と
思うと、「ウェブ考古学」もしくは「ウェブ歴史学」じゃないかと思う。

この学問は個人の書いたブログやツイッターを研究対象に、
ブログやツイッターが書かれた時代の行動や思考回路を解析し研究する学問になろうかと思う。
過去を研究するこれまでの学問と違うのは、対象が有名人で終わらないこと、
小学生でも病的な人間でも研究対象になりうるということ(多種多様な人がブログやツイッターを始めている時代のため)、
研究対象が膨大だからそれに比例して見るべきブログやツイッターはたくさんあるということ、
そしてその数は現在進行形で増え続けるということだろう。

もしかしたら「ウェブ考古学」「ウェブ歴史学」はもう学問としてウィキペディア辺りにまとめられているのではないか、そしたら今更こんな記事を書く必要もないのではないかと心配しながら検索してみたら、特にそんな記事はなかった。
今のところ、個人の未来予想程度のようだ。

さて個人のブログやツイッター等を研究してその時代の人々の思考・行動を考察する学問は
「ウェブ考古学」か「ウェブ歴史学」かどちらの名前がふさわしいだろうか。
自分は「ウェブ考古学」の方が適当だと思う。
考古学という学問自体がもともと名もない人々の暮らしを推測してきた学問だし、
研究手法も茶碗の欠片など、完全にそろっていないものから推測するスタイルだから、
個人の数日~数年くらいで途切れてしまったブログやツイッターを研究するとしたら、
従来の考古学の研究スタイルおよび対象と大体同じといえよう。
「ウェブ歴史学」と名乗るとしたら、
ネット上で話題となった事件そのものの研究や、従来のマスメディアとネットニュースの比較、炎上事件の考察など
ウェブ上で特に話題になっている事象を研究する学問として名乗るのが適当だと思われる。


・要望の話
終わってしまった番組がどんな番組だったか気になることがある。

テレビをつけっぱなしにして昼寝することが最近あるものだからうたた寝をしながら意識の中に
番組が入り込んで夢の中とごっちゃになることがある。

そういう時あの時の夢に入り込んだ番組はどんな番組だったんだろうって思うことがある。
あとで調べようとするんだけど、そういう時に限ってその番組が分からないことがよくあるから
困ったものだ。

オンデマンドを見るという選択肢もあるけど、オンデマンドを見るほどでもない。
また、オンデマンドの対象外になっている番組もある(再放送とか)
番組のざっくりした内容だけでもいいので終わった番組で何が流れていたか
教えてくれるサイトはないものか、と思う。





2013/08/13

最近の切手収集事情-僕の小規模な嘆きその25

・切手収集の話パート2
あれからまだ切手は集め続けていて
その規模は当初予想を超える量を集めている。
これだけ集めても切手というモノの特性故、ダンボール箱一箱にはまだ余裕で入る。

自分は最終的な目標として戦後以降の記念切手をコンプリートしたいという目標がある。
しかしその目標は果てしなく遠い(何もしていない間にも記念切手は続々発売されるものだから対象は広がり続けている!)。
なので途中目標をいくつか設けている。

途中目標のひとつが「ふるさとの花シリーズの全てをコンプリートする」というもの。
「ふるさとの花」は2008年7月から2011年5月までの2年10ヶ月に発行された、47都道府県の花をデザインした切手の総称である。
80円切手は白の背景、50円切手は青や緑、黄色と色とりどりの背景にそれぞれの都道府県の花がデザインされている。
緻密なデザインもさることながら、料額表示及び国名のローマ字表記がオシャレな字体なのでまるで外国の切手のような錯覚も覚えるような、オシャレなデザインになっているのが魅力の切手である。

これを全都道府県コンプリートできたら、さぞ壮観だろうということで
手書きの日本地図に、集めた切手の花の名前を書き込んで、壁に貼ってその状況を確認している。
この間、うまいことダブリなく切手が集められた機会があったのでもうすぐでこの途中目標は完了しそうだ。
50円切手は、東京・山口他4都府県、80円は大阪だけになった。

ところで集め続けると、どうしてもダブり(今まで集めてきた図柄と同じもの)が手に入ることも多くなる。
この間、1枚1円以下で大量の切手を入手したけど、そのほとんどが昭和時代の普通切手でどれも持っているものばかりだった。
今もダブリがないか選別をしているところだが、おそらく10割のうちの7割8割かはダブリとなるだろう。
大量にかつ安く手に入るといって画像を見たり出品者に質問するなど、充分吟味する必要があるものかと思わされた出来事だった。


・最近のピグでの活動を報告する話
最近は以前ほど活発にピグに入り浸っているわけではない。

Pポイントを貯めるべく、惰性で入って獲得し続けているわけだけど
ゲーム自体には思い入れはそこまではないので、本当にPポイントを獲得するための
ゲームプレイになっている。

そのPポイントも数千アメG分に交換できるくらいに貯まって交換してきた。
数千アメGを一気に手に入れたとはいえ、以前ほど何かが欲しいとかガツガツした物欲が
今のところ目覚めていないので、急に手にしたゲーム通貨をどう使おうか
使い道に迷っているところだ。

自分のために使わなければ、他人にギフトをするという形で消費すればいいんじゃないかと
思うけれど、見ず知らずの人間にポンとあげようなんて思ってもいない。
知り合いなど大していないし、手に入ったはいいがどうしようかなと思っているところ。

最近ふと思うは、クマにくれてやりたいと思うというものだ。
だがクマは疾うの昔にピグをやめているから、くれてやっても使う機会がないだろうと思う。


さて行きますか(136日目)

8/12(136日目)
午前病院に行く。

病院に行った後、急に今日中に18きっぷで行けるところまで行こうかと考え、
乗り換えサイトを使ってあれこれと道程を検索していたけれど、
途中ネットカフェに泊まることなどを考えても、やはり明日一日で帰るのが望ましいと判断し
今日帰るのはやめにした。

と、決めると急に眠くなり結局夜に入る時間まで寝入ってしまった。
起きてからはおみやげや切符(まだ買ってもいなかった!)を買いに行ったり、図書館の本を返しに行ったりしていた。
もちろん荷造りも。
慌ただしいこと限りない。

さて明日には帰省のため家を離れる。
家にはネットに接続できるパソコンはないので、しばらくこのブログの更新ともおさらばだ
(ついでに言うとネットともしばらくおさらばになるので、ネット依存でおかしくなった生活リズムもすこし改善できそうなところはある)

日記は更新できないけれど、書き留めていた「小規模な嘆き」がいくつかあるので
スケジュール機能を使って日に一度(あるいは2,3日に一度)の頻度で更新していく。
最新の様子はそれを読んでほしい。

でもせっかく100記事も投下してきたのだから、記事が更新されない今あらためて
過去の記事を読むのも面白かろうと思う。
最新のことばかりを知るだけでは面白く無い。
過去の記事も知って考えの移り変わりや、うろ覚えになっていたことを理解するのも
また大事かと思う。

さて行きますか。

2013/08/12

行ってきたのならその様子を聴きたい(135日目)

8/11(135日目)
今日も大した外出はせず甲子園を見ながら寝入ってしまっていた。

猛暑は酷暑に変わり、40度を2日連続で超えたと聞く。
まったく、クーラーばかり使ってしまうものだから電気代の請求用紙が恐い。

夕食はファミマの冷凍唐揚げとオクラと焼きナス。
以前はスーパーの出来合いの竜田揚げだったけど、飽きたというか食べたくない気持ちになったのでそちらに方向チェンジすることにした。

クマは花火大会に行ってきたのだろうか。
行ってきたのならその様子を聴きたい。

2013/08/11

最近楽しく会話できているので良いことだ(133日目、134日目)

8/9(133日目)
午後県立図書館に行く。
その前に時間があったものだから裁判所に行ってみる。
この日は民事裁判しか行われていなかった。
民事の裁判の判決を初めて傍聴したのだけれど、検察も弁護人もいない、もちろん係争者もいない、なんともあっさりしたものだった。
判決文を読み上げる裁判官も早口で、初めから最後まで事務的という印象だった。

その後県立図書館で資料をコピーし、帰宅する。
帰る途中にいつもの天ぷらうどんを頂く。もはやこれを食べずには帰れないレベルだ。

夜クマと話す。

最近配信に入り浸っている状態だが、これはいけないと思うようになる。
何がいけないと思うのかは、よく分からない。

8/10(134日目)
一日甲子園を見ていた。
田舎の公立校が一生懸命プレーするのを判官びいきも含みで見るからつい見入ってしまう。

13日に帰ることにした。
帰る、と決まった途端に急にこの部屋に居座りたいという気持ちが出てきて
困ったものだ。
一箇所から動きたくないという気持ちはずいぶん前から持っていたが
最近はその気持がすぐに出てきて、何泊かする旅行に億劫になる。

近所の公園や公会堂では盆踊りをどこもかしこもやっていた。
とある公園の盆踊りに潜り込んだが、地元感がハンパなかったのですぐに退散した。

参加する分には面白くないけれど
遠くから裸電球のオレンジ色のぼんやりしたのを眺める分にはいい。

夜クマと話した。
最近楽しく会話できているので良いことだ。


2013/08/09

キモくても人気者になれるはず-僕の小規模な嘆きその24

・キモいを人気にしたい話
クマに仕草の色々を「キモい」と酸っぱい梅干しを食べた顔で言われ続けるものだから
腹がたって世の中にモノを申したい。

そろそろキモさを極めたアイドルが人気者になってもいいのではないだろうか。

もうカワイイといわれるアイドルは出尽くした感があると思う。
AKBなんぞ可愛さのレベルを敢えて落として売り込んでいるし
不細工なアイドルもネットで注目されている時代から
時代はキモイアイドルを求めつつあると言えまいか。

こうなったら初めからキモイと言われる前提のアイドルを売りだしてもいいと思う。
男でも女でも。
ただキモさが引き立つのなら男がいいだろう。
キモイ仕草、口癖、ファッションと全てにおいてキモさを極めた先には
「キモイんだけどついつい見てしまうもの」というものが伝染していくのではないだろうか。

自分がプロデューサーならこれも有りかと思うけれど
この手のアイドル誕生は非常に難しいだろう。
誰よりも「キモイ」と言われ慣れていて、かつ言われることを快感すら思えるような人間を
プロデューサーは発掘しないといけないからだ。


・選んだ道の話
自分は日本の中世の歴史が好きなんだけど
どうしてその時代が好きなのかを話したいと思う。

もともと自分は近代の歴史が好きだった。
秩序だっていて何よりも史料が豊富故勉強できることがたくさんあるだろうと思ったからだった。

そんな自分が中世っていいなと思ったのは
大学で受けた授業との出会いだった。
戦国時代の武士が自分の功績を記した覚え書きを読んでいくという授業なのだが
そこに登場する武士の息遣いが伝わってきてワクワクしたのだ。

彼らは主君と家とそして自分の名を挙げようと縦横無尽に動きまわる。
我こそが有名になってやるという自由でガツガツしているというのが
一番表れている時代なのかと思った。

織田信長とか有名な大名よりも、
もっと下のそんなに記録の残っていない武士たちにスポットを当てることで
天下の頂上に立つ可能性は難しいけれど、おこぼれにありつこうとしたり、
まだ天下の頂上に立てる可能性があるんじゃないかと隙を窺うところとかに注目したい。

そう思ったので冒頭のような気持ちに至った。


・些細な話
スーパーではずっとカートを使って買い物して来なかった。
周りが使って来なかったというのが一番の理由である。
周りの目を気にして、カートなんて使ったら通行のじゃまになりそうだしとか考えて
使って来なかった。

でも自分は2リットルの水を何本か買うものだから、
それを入れたカゴの重みが片腕にズシンとくるのはツライものがある。
そこでようやくカートを使って買い物をするようになった。

カートを使うようになって思ったのは
今までの人の目とかなんてなんにも気にならないなということ。
人の目を気にするあまり、便利さとか自分の利益を捨てていたことに気づいた。



2013/08/07

適切な時間に切り上げて適当な時間に寝ないと、いつまでも作業は進まない(130日目、131日目、132日目)

8/6(130日目)
原爆の日ということで黙祷した。

17時という遅い時間にカウンセリングに行く。
卒論個別指導を終えたばかりなので心の余裕のプールに余裕があること、
感情を込めて話したことが乏しい故、話し方に感情が伴っていない
自分が話しているように見えていない様子を確認した。

帰りにスーパーに行く。
ここのところ3日連続でスーパーに行っている。
自分で食べるためだけに箱アイスを初めて買った。

買ってしまうとあっという間にガリガリアイスをかじってしまう。
10本のアイスが3本くらいに減ってしまった。

ジャズ喫茶の録音を聞いていて気になる曲を見つけたから
持てる人力検索能力の全てを動員して十数分検索に勤しんだ結果
「カルロスジョビンのBrazil」という曲と判明した。
その時の達成感は言葉では表せない程の小さいものである。

8/7(131日目)
クマの夢の中に自分が登場して夢の中の自分に叱られたそうだ。

本日のあまちゃんのオープニングの入り方にうーんと唸らされた。

あまちゃんの劇中歌入りサントラが発売されるとのこと。
この手のCDがはじめて欲しくなった。

将来を不安視して相談してきたキンタローに対して放った中尾ミエの言葉が刺さった
何だったけな
「一度山を登ったら降りなければいけない。
頂上にはスペースはないし、風は強いしそれ以上上がない。
次の山に登るためには一度谷に降りて次の山を目指す準備をしないといけない」
何十年も芸能界にいる人だけに、言葉が深い。

オークションで落札した商品が届く。
クロネコメールだからもう少し遅めに届くと思っていたら
意外に早く届いた。
ふるさと切手のほとんどが揃ったので良い買い物をしたと思う。

思わぬことでオークションの商品を落札する。
無駄遣いの多い日だった。

クマと夜話した。
クマにとって地雷になるような話題は避けようとする余り、クマの機嫌が悪くなった。
微調整というものが難しいな、と思わされる瞬間だった。

8/8(132日目)
外出を予定していたが取りやめた。

夜中封筒に保管している切手をあけて整理を行った。
封筒に入れっぱなしにしていると折れ曲がりも出てくるから困ったものだ。

適切な時間に切り上げて適当な時間に寝ないと、いつまでも作業は進まない。

2013/08/06

やはり新米はおいしい(129日目)

(129日目)
今日は個別指導の日だった。
気もそぞろ、ではあるけれど前回前々回程ではない。
今日の発表までに数百点の資料をコピーし、表にまとめてきたので
厳しい指摘をされてもそれがあるからという気持ちでいられたから
少し心に余裕があった。

発表は厳しい指摘は全くなかったのでこれまた拍子抜けしたとともにホッとした。
やはりたくさん資料を集めていたことが評価されたようだった。
集めた資料を踏まえて分析を行い、
関連する論文を読んで小括を次回は行えるくらいにしておこうということになった。
今後の作業はこのような作業が主になるわけだ。

図書館で徒然草を借りた。
自分が借りた徒然草は講談社学術文庫版の徒然草で、全4巻もある。
4巻あるだけに、それぞれの段を端折ることなく丁寧に解説している。
ピックアップしたものというのは直訳じゃなくて意訳が多いから長ったらしいうえ
自分で独自に解釈する際には邪魔になるとくる。
でも講談社学術文庫版は直訳で、古文のテキストの如く単語の注もついているものだから
原文をしっかり味わえうことができる。
古典ビギナーだったら角川文庫で出ている徒然草を読むのがいいと思うが、それが少し物足りないと思ったら講談社学術文庫に移って、通読するなり自分の好きな段の理解を深めるなり
各々の読み方をすればいいと思う。
これから電車の中などで面白そうな段を見つけてそこを深く読むという方法で行こうかしらと
考えている。

今日も昨日買った新米を炊いたが
やはり新米は美味しい。


刑事事件の裁判傍聴記-僕の小規模な嘆きその23

・裁判を傍聴した話
先日ある刑事裁判を2つ傍聴した。
そのことを今のうちに書き記しておく。

一つは窃盗事件の判決だった。

自分を含めて2人しかない傍聴席で大変寂しいものだった。
てっきり刑務官に付き添われて出てくるかとおもいきや、
開廷ギリギリで1人で入ってきた。
一旦釈放されていたのかもしれない。

被告人の男性は若い男性で色黒の小柄な人だった。工事現場に転売目的で金属を盗みに入ったそうだ。

判決は執行猶予付きの有罪判決。あまり反省していないように見えた。


もう一つは殺人事件の裁判員裁判だった。
裁判員裁判だけあって傍聴者の数も多く、格が違うかと思わされた。


高齢の父親殺しの事件の裁判。
被告人は優秀な弟と小さい頃から比較され続け、その度に暴力を父親から受け続けてきた。
ある日も仕事が無いことを理由に口論になり、殴りかかる父親から守ろうと包丁を出し、もみ合いの末に「偶然」刺してしまったという。


さて刺したのが被告人に殺意あってのものか、
父親からの暴力から身を守ろうとしたが故の過剰防衛なのか、
というのが事件の争点となる。


自分は裁判官でも裁判員でもないからこの事件に直接立ち入ることはできないが、
お互いに言い分があり、一概にこれとは言いようのないものだった。


これから先、証人への質問や被告人への質問等を挟んで判決が言い渡されるとの事だったが、
そのスケジュールが過密(連日続く)ので
さすがにそれを見るだけのために毎度裁判所に足を運ぶわけにはいかないものだから
それは断念することとなった。
後日新聞やテレビなりで判決を見ようと思う。

2013/08/05

ラピュタパン-僕の小規模な嘆きその22

・ラピュタパンの話
先日ラピュタを見た。
ラピュタがあるから見たと言うよりは、そういえばラピュタが今日はあるな、ちょっと見てニュースウオッチ9に変えようかなと思いながら見て最後まで見てしまった口だ。

男の子の名前がシーターと思っていたらパズーが正しかったり、
パルスじゃなくてバルスが正しかったり
バルスを唱えた後もストーリーがしばらく続くかと思ったら終盤の終盤であっという間にエンディングに向かってしまっていたり
久々に見ると、いろいろうろ覚えだったところがボロボロ出てきて
そんな記憶を修正しながら見るラピュタは面白かった。

パズーが作る目玉焼きを乗せたパンは地下坑道の中で食べるというのも
うろ覚えの記憶を修正する場面だった。
(パズーの家で平和に食べるものだと思っていた)
そして、そのパンは「ラピュタパン」という名前でウィキペディアにも載ってるということも
ラピュタを見て初めて知った。

考えてみれば、目玉焼きをパンに載せるという料理はあまりに単純すぎて
名前なんて永遠につかないのが普通だろうけど
ラピュタに出てきたから「ラピュタパン」と名前を与えられて
ウィキペディアに載るもんだから、ラピュタの力立派なものだと思った。

そういえばクマはジブリの作品の中でラピュタが一番好きで、
幼稚園の頃から何度も見てきたと言っていた。
今日パズーを見ていてなんとなくラピュタが大好きな理由が分かった気がする。
それにしても幼稚園のころのクマはラピュタを見てどう思ったのか、
なぜか妙に気になる。


・あれ?このブログを意識している?の話パート2
以前、書き方が自分のブログを意識して書いてんじゃないの?っていう内容で
クマのブログを取り上げたことがあった。そのパート2

最近のある日の記事にこの「僕の小規模な嘆き」のごとく
「~の話」で始まるコラム的記事が投下されていたのだ。
これはこのブログを意識して書いたに違いない、
と近い内に確認したいなぁと思っている。

ところで書き方を意識してブログ記事を書いたんじゃないの?と実際に聞いてみたら
そんなことはないと一蹴されてしまった。


・価値観の話
「行き着く先は同じさ」
復学して久々にジャズ喫茶の配信を聞いた時に主人が語りかけたメッセージの一部である。
心に残った1言なので、過去配信をさかのぼって聞き直し、何度か聞いたこともある。

以前ジャズ喫茶に関する記事を投稿してから何度かバーチャルのジャズ喫茶を訪れている。
音楽の紹介はもちろん、主人の話にも心惹かれるのでよく訪ねている。

主人が語る人生とは、仏教に根ざした話が多い。
それに惹かれるのはなぜだろうと考えてみた。

それに惹かれるのは、自分が日本人だからなんじゃないかとおもう。
西洋の価値観に触れる前に、日常生活や学校生活で昔の日本人の価値観に触れる機会が多いから
仏教や儒教など東方的な価値観に親しみを抱くようになっているんじゃないかと思う。

一方西洋の合理主義とか言う価値は、中学高校の公民の授業で習うような形で、
詰め込み教育で覚えさせられたところがある。
哲学者の名前や、哲学主義の名前とか覚えさせられて、それもまたむずかしいものだから
どうもしっくり来ない。

これが古典とかを読んだり、日常生活の中で知らないうちに教えられたら
西洋的な価値観もすんなり入るんじゃないかなーなんて思う。

スマートに生きるには西洋的な合理主義・個人主義とかは必要だと思うし
身につけて世の中をスイスイ行きたいなと思うけれど
我が道をいく、目上の人を尊重する、古いものを大事にするというような日本・東洋的な価値観
もまた、身に染み渡っているだけあってなかなか捨てられない。




2013/08/04

今週末に届く予定(128日目)

8/4(128日目)
心安らかな感じだ。

今日は室内は蒸したものの、戸外に出ると風が吹いて涼しかった。
虫も少なく、久しぶりに過ごしやすい夜だった。

米がなくなったのでスーパーで今年とれた新米を買う。
モチモチ感がいつもの米とは全く違った。

オークションで商品を落札した。
もしかしたら当たり切手がヒットするかもしれない。
今週末に届く予定。

時に苦い薬を飲む事にもなる(127日目)

8/3(127日目)
こう暑いとアイスが進む。
今日はアイスを2つ食べた。

夜友達の家に行って、夕食と酒を少し飲む。
食事後、少しのおしゃべりをした後、マリオカートとスマブラをやるというお決まりの流れ。
27時間テレビをやっていたので、それを見ていた。

個別指導が近づいているが、だんだん腹が据わってきたというか、
不安を通り越して、何も考えなくなってきた。

クマは今日、無人島に行って海水浴に行くという。
この日に行くとは思っていなかった(来週末に行くと思っていた)ので早いと思った。

時に苦い薬を飲む事にもなる。

徒然草第一段の考察-僕の小規模な嘆きその21

・小気味のいい音楽の話
小気味のいい音楽というものが何かよく分からないでいる。
とあるスカバンドのYouTubeのコメントに
「小気味のいい音楽」と評価されているのを見てから
「小気味のいい」を使いたくてしょうがないのだけど
グーグルで「小気味のいい音楽」と調べてもなかなかこれぞと思うものは
なかなか見つからず
このままでは永遠の謎になってしまいつつある。


・切手カタログの話
先日大きな本屋で最新の切手カタログを見つけた。
前年版の切手カタログを持っているので別にこれでも事足りるんだけど
最新の切手カタログが出るとなると一度は見たくなる。
最新のものだけあってとても見やすいもので大して必要ないものなのにちょっと欲しくなった。

その隣に置いてあった、切手の図柄の解説が詳しい記念切手カタログもまた
読み応えのある内容で面白みを感じられた。


・徒然草第一段の考察をする話
徒然草冒頭の第一段
「つれづれなるままに~」の考察をしたいと思う。

※徒然草第一段
「つれづれなるままに
ひぐらし硯に向かひて
心にうつりゆくよしなしごとを
そこはかとなく書きつくれば
怪しうこそものぐるほしけれ」

自分が注目したいのは最後の「ものぐるほしけれ」
の訳というか、解釈だ。

自分の解釈では、「兼好法師は思いつきを文章にしたためたことで『なんかオレ天才じゃね?』みたいな気持ち(優越感に似ているようなちょっと違うような)になっている状態」が「ものぐるほしけれ」になるんじゃないかと思うんだけど、
一般的な現代語訳を見ると
「ふしぎに物狂おしくなる」とか「現実味を帯びなくなって不思議な世界に引き込まれる」とか
ちょっと釈然としない。

だからこの「ものぐるほしけれ」についてちょっと考えようと思う。

単語自体の意味としては「ものぐるひ」の形容詞形であって
「狂気じみた」という意味になる。
狂気じみたと訳してもある程度は合っていると思うけれど、それでは兼好法師の文章を書き綴っている気持ちには届いているようで届いていない。
狂気じみたというならば、とりつかれたように書いている状態が適切であろうけれど、「そこはかとなく」書いている時点で、ダラダラと書いているところは明らかと思える。

ぼんやりと書いている時というのは変にぶっ飛んだ考えや気持ちが表れやすいものなので
「ものぐるほし」くなった時にどういう気持になっているのかというのが問題となる。

色々解釈があるので提示しておく。
一つは「書いていく内に自分がおかしくなってしまった」という文章を卑下するためという解釈。
一つは「書いていく内に自分の中の興奮が高まってきた」という興奮を表すという解釈。

解釈の流れで言うと、後者のほうが優勢らしい。
自分も後者の解釈にはうんと思えるので、後者に同意する。

では何に対して「ものぐるほし」くなったのか
書いている自分に対してなのか、書いた内容なのか、文章表現なのか
内容・文章表現に関しては文章をある程度書いた後でないと思ったことにならない。
前の文章からかかるものとして考えたら、書いている自分に対してというのが自然な気がする。

そして「ものぐるほし」くなると誰に対して書き記したのか。
これは兼好法師が自分自身を実況して書いたものだと思っている。
読者に共有させるという解釈もあるけれど、兼好法師のするどい観察眼が自分自身に向いて、
一瞬浮かび上がった、自分の高揚感をさらっと記したのが「ものぐるほしけれ」なんじゃないかと思う。

さて、「ものぐるほしけれ」と書くことで何を自分の中で表現したかったのだろうか。
ただの実況か、こういうことってあるよねっていうあるあるネタの提供か、高揚感で調子に乗っては行けないよっていう自分への戒めか。

いろいろある中の解釈で「想像力の原動力」というものを見つけた時、ちょっとハッとさせられた。
文章をダラダラ書いている中で生まれる高揚感に想像力の原動力があることを兼好法師は見つけた、そこに自分の書く理由を見出したのではないか

ただの高揚感をそれと捉えて終わるだけでなく、その先に自分の書く原動力を発見する兼好法師の一歩踏み込んだ観察眼にやはりただものではないと脱帽させられる。






2013/08/03

選択肢の貯め-僕の小規模な嘆きその20

・書き留める話
休学期間を残りひと月切った時に
家探しをするために、いったん戻っていたことがあった。
その時に泊まった友だちの家に置いてあった本の一節が大変気に入ったので
今のうちに書き留めておこうと思う。

「いろんな生き方があっていい。どんな生き方であっても『絶対こうでなきゃ』と思う必要はない。
とにかく今を生き延びること。そのために必要なら、時にあきらめたふりをし、時にはあきらめたくない何かに出会って追いかければいい。すべては途中なのだ。
だから、とにかく使えるものは一目的性であろうが、共同性だろうが、セーフティネットだろうが、何でも使ってじたばたと生き延びること、
そのためには何が使えそうか、そのときそのときでもっとも使えるものは何か、ちらちら横目で見ながら選択肢の『貯め』を作っておいたほうがいい」

この本はとある世界一周ツアーの実態について書かれたもので
自分の嫌いなつまらない若者のお祭り騒ぎと意識あるように振る舞う姿を指摘する、
その内容が痛快で面白かった。


・願望の話
曇り空の中、飛行機に乗って雲を突き抜け
地上では絶対見ることのできない青空を見ながら、
下に果てしなく広がる雲の床を飲み物を飲みながら眺めていたい
という願望。


・言い方の話
ブログの記事を書くとか、手紙を書くとかいう行為を
「書き物をする」という表現に言い換えた時
なんだか自分が文豪になったようで偉くなった心地がする。


・王国の話
先日クマとハンバーグ屋さんにご飯を食べに行く前の話。
横断歩道を渡ろうとしていると、
トラックが止まってくれたので小走りで渡ったら
クマが「○○トラックの運転手さんありがとう」と言って渡った。
まるで小学生のような振舞をまだ残していることに驚いた。

「運転手さんありがとう」と言って横断歩道を渡るという気持ちは
小学生の時には持っていたが、いつの間にかそれを忘れてしまっていた。
それを成人した後も残しているクマの心に
豊かな王国があるように見えた。
クマの近くにいることによって
王国の影響を少しは受けられるのではないかと、クマと分かれた後に考えたのだった。

胸を張れるのは(125日目、126日目)

8/1(125日目)
眠りすぎる一日。
夜になっても熱気がまとわりついて大変不快である。

モーニングサーブがなくなったので
ちょっとお高いウインナーを食べているのだけれど、
パリっとした食感と、ジューシーさに驚かされている。

8/2(126日目)
部屋から出ることなく一日を過ごした。

ラピュタを見ながら祭りに乗っかって「パルス」とつぶやいたが、
パルスではなく、バルスだとあとで知った。
濁音と半濁音を見分けられない解像度の悪さを呪った。
ついでにクマから「は?」と言われた。

あと3日ほどで夏休み前最後の個別指導があるわけなんだけど、
どこまでやればいいのか分からないでいるのでエンジンのかかっているような
かかっていないような状態が続いている。
これじゃあ足りないと中身を見て焦る事もある。
あとこのくらい入力すればなんとか行けるだろうと思ったりすることもある。
とりあえず数百点の資料を集めたという実績はある。
これくらいだ。胸を張れるのは。

2013/08/01

やるじゃん(122日目、123日目、124日目)

7/29(122日目)
今日は病院の日だったが、行きそびれてしまったので翌日に日程を変更した。

7/30(123日目)
午前に病院に行き、午後カウンセリングに行く。
病院とカウンセリングの間に時間があったので、その間図書館で
雑誌を読んだり手紙を書いたりして過ごした。

明日クマとどこのお店に行こうか食べログで探していたら
よさそうなお店を見つけた。

床の上に寝て仮眠しようと思い、しばし横になっていたら3時間も寝てしまった。

7/31(124日目)
午後県立図書館に資料をコピーしに行った。
大変暑い日で、ダクダクと汗が流れていく。
クーラーの効く室内に入ってもあまり涼しいと感じなかった。

18時クマと会ってご飯を食べに行く。
クマの家の近所にある、ハンバーグの店。
目の前でジュージューと焼ける肉はとても美味しかった。
スープもデザートもイケて、リーズナブルな店だったので気に入った。
ただクーポンを出せずじまいだったのが残念。

ご飯のあとゲーセンで遊んだ。
太鼓の達人ですごく息切れしてしまった。

気になる歌があったのでリスモの聞かせて検索を使って調べるのだけれど、
これまではPCから流れる音は拾わないと思ってその時は検索して来なかった。
どうしても歌詞を聞いただけでは検索できないものだから、
ダメ元で聞かせて検索をすると意外にヒットしてくれた。
やるじゃん。