2014/10/23

冷凍食品のピラフを温め、むさぼるように食べた(572日目~575日目)

最近は日記をまとめて書く日も多くなったが
これからしばらくは毎日書けるだけの余裕ができるだろう。
その理由は読めば分かる。


10/19(572日目)
休みは一日しかない。
そして今日は新しい病院に行かねばならない。
なかなか忙しい一日だった。

朝9時頃家を出て病院へ。
これまで通っていた駅前の便利な立地にないので、バスに揺られてそこからさらに20分ほど住宅地の中の坂道を上がる。

山際にある病院は日曜とあってか待合室には誰もいなかった。
予約を入れたときの職員の対応ががさつだったのであまりいい印象を抱かずやってきたが
受付の対応は普通だった。

医師も一癖ある人かと思っていたがそうでもなかった。
背の高い穏やかな人で、最近の医者では珍しく、パソコンでカルテを書かない。
話をしばらく聞いた後、前と同じ薬を出してもらうことで話がついた。

昼食は高架下のラーメン屋で味噌ラーメンを頼む。
まずいラーメンだった。
麺はのびているし、スープは何の味をしているかわからない。
薄めすぎて、湯を飲んでいるような感じがしてきた。

外から見ると客が入っていないことが多いが、食べてみて納得した。
これは客は来ない。そして自分ももう行かない。

夜のNHKスペシャルは興味深かった。
戦後の映像のBGMに出てきた「東京の花売り娘」という曲が気に入った。

一日だけ休んで明日からまた仕事と思うと憂うつになってきた。
前よりも憂うつ度が増してきた気がする。


10/20(573日目)
「その時」は唐突に訪れた。
土曜にいじっていた機械の設定を自分が間違えたようで、教育係の先輩と直属の上司が
説明書を見ながら対応にあたっていた。
自分は別の作業をしながら、たぶん自分が何かしてしまったに違いないと思い、
後でどんな注意をされるんだろうと思いながら見つめていた。

しばらくして、水飲み場で水を飲もうとしていた所、上司に「おい」と呼び止められた。
「初歩的なミスを繰り返す、メモを見てもできない、試用期間中は様子をみるがこのままでは本格的な仕事はできないぞ」
注意というわけでもなく、叱りというわけでもなく、その時の自分には一種の最後通告に思えた。

前々から上司の自分に対する態度がよくないのは薄々気づいていた。
それは、ただ疲れているだけだろうと思おうとしていたが、今回のやりとりで
どうやら上司からは使えない人間認定をされていて、おそらく長居していてもいい関係を築ける見込みはない、と判断された。

そう思うと、もう辞めるしかないのかという気持ちに一気に傾く。
さっきまで一生懸命作業して仕事を覚えようという気持ちは急速に落ちて、
自分はみんなに嫌われている、それに気づかなかっただけなんだ、将来性があると思っていたのは自分だけで全然仕事はできないんだと思うようになり、
昼ごろにはもう続けられない、やめようという気持ちにほぼ固まった。

昼休みもご飯は喉を通らずほとんど残して食堂を逃げるように去る。
午後の作業もミスがいつも以上に多く、頭のなかは真っ白な状態がずっと続いた。

一人でこのまま帰っても気持ちの整理がつかないのでクマのところに言って話を聞いてもらう。
クマから温かいお茶をもらい、ぽつぽつと話をするうちに涙がポロポロ出てきて止まらなかった。

自分に合う仕事だと思っていた。まじめにやれば成果は出るし、機械の操作や調整も案外向いているのでは、と思っていた。
けれどよく考えると直属の上司からは嫌われていた、と思う。
だからいくら仕事を覚えても彼の指示を仰がないといけない立場上、肩身が狭いまま働くことになる。
だから、なんだか悔しかった。
でも、もう辞めたかった。たぶん長居していてもどのみち辞めてしまうだろうから。

クマはその話を聞き、賛成もしなかったが反対もしなかった。
ただ、自分の決断することは支持する、それでどのようになっても私はそばにいる
そう言ってくれた。
クマはずっとそばにいるんだ、そう思うとほぼ固まりかけていた気持ちがとうとう揺るぎないものに変わった。

帰宅後、退職についてのあれこれを色々調べる。
親にも今日の出来事を話したが、話しているうちにうとうとしてしまい、しばらくして電話を切ってそのまま寝た。


10/21(574日目)
今日は通常通り起きたけれど、行く気が失せてしまい欠勤を連絡した。
もう、退職することは腹の中で決まったので
退職するまでの流れをネットで一日中調べていた。

退職届には白い封筒が必要ということなので
深夜コンビニに明日の昼食を買うついでに出た以外は外出しなかった。
明日が決戦だと、自分の中で意識すると抗不安薬を飲む量がいつも以上に増えてしまった。


10/22(575日目)
朝から緊張しっぱなしだった。
計画では、朝イチで上司に退職の意思を伝え、できれば即日退職を狙う。
そんな感じだった。

その計画はあっさり”うまくいきすぎた”
もしかしたら少しは引き止められるのではないかと思っていたがそんなことは
全くなかった。
上司に退職の旨を伝えると「向いてないのなら仕方ない」とあっさりした対応で、
社長のところに言ってくるからしばらく待つようにと言われる。
30分後、社長のところに行くようにと言われ、退職願を持参して行く。
その時にもまじめにやっていたのに残念だと言われはしたが、もう少しがんばってみないかとかそういう引き止めの言葉はなく、その日付けで退職願が受理された。
返却すべきものがあるから一度は来るように、今日はもう帰ってもいいと言われて
そのまま帰った。

帰る途中、駅で母親に退職したことを報告する。
え!とびっくりはされたが、自分の病気で辞めたのではなく、人間関係でやめたんだというと安心した。
母親は病気がでてやめることを一番心配していたようだ。
若いしいろいろ仕事はあるから、心配することはないと励まされ、電話を切った。

帰宅後は専ら本を読んで過ごした。
山本甲士の「ひなた弁当」、途中から魚や野草の説明ばかりになって退屈になったが
いい終わり方をしていたので読了感は悪くない。
ちょびちょび読んでいた「幕末不戦派軍記」も読み終えた。歴史読み物としてすごく楽しめた。

クマにも仕事をやめたことは伝えた。
すると「少し考えたい」という返事。
一体何を?今後の2人の関係?もしかしてこう簡単にやめてしまった自分に愛想をつかしてしまったのか?と色々裏読みする。
しかしそれはすべて邪推で、クマは自分の言動や行動が多少なりとも影響を与えているから今後自分と付き合って行くうちにどうなるのかということを、自分なりに考えていたというのが真相だった。
クマは、仕事はまた探せばいい、遠回りでもいいんだと言ってくれた。

その文面を見た時に、涙がポロッとこぼれた。
その後、電話で少し話す。
その時に自分は感謝の気持ちを伝えた。
でもただありがとうというだけでは物足りないから例えを尽くして感謝の気持ちを表した。
(自分の主張を強調するのに例えをだすのは自分の癖だ)
クマは照れているみたいだった。自分も照れくさかったけど、それよりも伝えなくちゃという一生懸命さが強かった。

それからテレビを見たり、スマホのウィキペディアを見たりしてじっとしていた。
明日職場に返すべきものを返さないといけないため、少し緊張がまだ残っている。
そんな時でも腹は減る。
冷凍食品のピラフを温め、むさぼるように食べた。





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