2015/03/30

これが自分の春が来たと思う瞬間(732日目)

3/29(732日目)
ジャズ喫茶の配信になかなか参加できないし
参加できても1人ただそこにいるだけという状態になるのが嫌だった。
ならばジャズの知識をつけようと思うが、正直ジャズはあまりに幅が広すぎて極めようにも
難しい。

そこで、自分が何を好んで聞くか考えてみた。
するとジャズオルガンというジャンルがいいらしいということに気づいた。

ジャズオルガン(ハモンドオルガンという楽器ということをはじめて知った)
のアルバムを聞きまくることにした。
幸い、ジャズの中でもマイナーらしくてアルバムも少ないようだ。
自分にとっては聴きこむべき曲が少ないという点でありがたい。

とりあえずYouTubeにアップされている曲を再生リストに入れまくる。
聞きまくることから始めて、いいやつを選り分けるという感じだ。
気分はスポーツチームの監督で自分なりのオルガンジャズのスタメンを決めようと思う。

スマホのWi-Fiでテザリングができるようになった。
今使っているWiMAXよりもむちゃくちゃ通信が早くていい。
WiMAX解約しようかと思ったけど、その前によりいいやつにアップグレードできますよという
キャンペーンに応募してしまったからまだしばらくWiMAXを使い続けることになりそうだ。

桜は開花した途端一気に花が枝の隅々に広がっていく。
ボヤボヤしていると花見の時期を逃してしまう。

図書館で本を借りて、買い物をする。
夕食はB定食(スナップえんどうをゆでたもの、鮭のムニエル、コロッケ)を食べた。
今年はじめてスナップえんどうを食べた。
シャキシャキした食感のこの野菜をマヨネーズにつけて食べると春が来たと思えてくる。
これが自分の春が来たと思う瞬間。






2015/03/29

とりあえず4月1日は物忌しようかと思う(728日目~731日目)

3/25(728日目)
この日も変な夢を見て6時半頃に目覚めた。

クマが卒業式で家族揃って写った写真を見せてもらった。
その写真を見ながらクマはどこそこが父親似だとか母親似だとか話していると
クマが詳細にこの部分は父親似でこの部分は母親譲りと話してきた。
びっくりしたのでよくこんなに分析できるねと言うと、
6歳頃までには自分で分析し尽くしていたと答えが返ってきた。

クマは根っからの研究者肌で
観察(特に目に見えないもの)の観察にものすごい関心を抱く。

今は縁が薄くなってしまったことを思い出す。
今思うと、彼らはいい人達ではあったものの
奇跡をやたらと信じこみ、その立場上自分たちとは相容れない人に敵対心を示す。
弱者に対しては自分たちが保護者にならないと生きていけないという視線が強い。
地元の人々とは仲良くならず、よそ者としか心を通じ合わせられない。
いつまでたっても浮いた存在だ。

午後外出しようと思ったが寝てしまった。
夢は特に見なかった。


3/26(729日目)
この日も変な夢を見る。

昼ごろ図書館に行く。
江戸時代の青侍についての貴重な記録の本を読むことができた。
一部ノートに内容をまとめる。

新聞を読むと、かつて大学の寮で隣室だった男の記事が載っていた。
今先生をしていて、教育関連の記事で登場していた。
その頑張りぶりと今の自分とを比較して落ち込んだ。

帰りに買い物をして帰る。
2種類のだし巻き卵(値段が高いけどそれなりに美味しかったやつ、値段が安くて量が少なめ)
を買ってみた。
後者のほうを夕食に食べてみたが、あまり美味しくなかった。やはり美味しさはある程度値段に比例するのだろうか。

超常現象ファイルというBSの番組を見る。今日は幽霊を特集していた。
幽霊は中世では救うべき対象、会いたいと思う対象だったのが
百年戦争やペストの流行によって恐ろしい存在になったということがわかった。
歴史によって幽霊の捉え方が変わったということが興味深かった。


3/27(730日目)
午後クマに会う。
サイゼリアで一緒に食事をして、スーツを取りに行くクマについていった。

クマにクロワッサンをもらった。
このクロワッサンは、クマが2週間に一度行く病院の帰りに買うクロワッサンで
今まで食べたことのないクロワッサンだという。
家に帰って食べた。
もちもちさくさくしていて、1個で満足感を得られるという、クロワッサンで初めての体験をした。

危険物取扱者試験の結果は受かっていた。
翌日見た試験結果の詳細によると、物理化学分野が6割ギリギリだった。
各分野6割以上取っていないと合格出来ないので危なかった。

夕食はB定食(サバの西京焼き、だし巻き卵)を食べた。

ヤフオクにクマからもらったイヤホンを出品してみた。
入札されるかどうか怪しいと思ったけど、さっそく入札されていた。


3/28(731日目)
フル・モンティ(原題:The Full Monty 1997年 イギリス)を見た。
面白いという評判だから見てみたけど、おじさんたちがお金のためにすっぽんぽんに
なるという単純なエンディングのために色々入っているなという感じを受けた。
吹き替えで聞いたけどあまり音が聞こえなかったから細かいことがわからなかった。

クマはこの日から隣県に一泊二日の家族旅行に出かけた。

午前病院に行く。
カウンセリングではスモールステップを踏みながら
日雇いのアルバイトができるようになろうという目標をたてた。

帰る途中でコストコでピザを食べてDVDを返して帰宅。

「明るい炭鉱」を読みきった。
炭鉱の入門を知ることができたし、日本の炭鉱産業は技術が向上するほど衰退していったこと
炭鉱というと筑豊というイメージができあがってしまった過程が分かった。
最後の炭鉱を活かしたまちづくりは飛ばしがちになった。

昼寝した時にまた夢を見る。
寝起きにメモ帳に記録したけど、記憶がおぼろげらしく単語しか書いていない。
それによると夢の内容は
「大学もしくは何かの学校、イタリア語、よくわからない、寮」とのことだ。

夕食はB定食(だし巻き卵、鮭のムニエル)を食べた。

喫茶の主人はこのところ人が入っているようで寂しさが軽減されているようだ。
自分はなかなか会えずじまいだし、もともとその場にいるだけの存在だったから
なんだか取り残されているような気がしてならない。

とりあえず4月1日は物忌しようかと思う。





2015/03/25

だし巻き卵、なかなかうまい(725日目~727日目)

3/22(725日目)
図書館でお目当ての本を探そうと思い
目的の棚に向かったが何故かなかった。
そうこうしているうちに閉館時間が来たので、退出し、買い物を済ませる。

駅前はイベントをやっていたせいで人通りがものすごく、
その流れに逆行してDVDを返さないと行けなかったから疲れた。

夕食はB定食を食べた。
細かい内容はよく覚えていない。


3/23(726日目)
ありがたいことに親が今月も仕送りしてくれた。
いつまでも頼る訳にはいかないが・・・。

クマの大学の卒業式があり、クマはそれに参加した。
本当に長い学生時代、それがようやく終わると思うと感無量だっただろう。

就労の意見書がようやく出来上がったというので
それを取りに行き、ハローワークに提出する。
障害者としての求職登録を済ませた後、職業センターで適性診断を受けることになり
その調整を済ませた。

夕食はA定食を食べた。


3/24(727日目)
最近夜0時過ぎに眠くなって眠り、
変な夢を見て6時頃に目覚める。
それからまた眠りにつくがまた変な夢を見てしまう。
内容はよく覚えていないが、実習に遅刻しそうになって家族に車で送ってもらう夢とか
後味があまりよくない感じ。

15時支援センターの人と面談する。
本当は4月になってからする予定だったが、双方の勘違いでこの日になった。
近況報告がメインだった。

その後家賃を振り込み、買い物を済ませて帰宅。
切り身は無事に買えた。

こどもを対象としたメンター制度というものがあるらしい。
こども好きのクマには時間があれば向いているのではなかろうか。

夕食はB定食(鮭のムニエル、チルドのだし巻き卵)を食べた。
だし巻き卵、なかなかうまい。








2015/03/22

暖かいので窓を開けて毛布一枚だけかぶって寝た(724日目)

3/21(724日目)
彼岸の中日は春の陽気で暖かい一日だった。

戦争に係る夢をみた。
なんといっていいかわからない。

午後図書館に行く。
一冊本を返して一冊借りた。

DVDを一枚借りる。
最近外国映画は日本語吹替版がないと観る気がしない。
字幕だけの映画は時期が見たら観ることにしよう。

買い物帰りにクマ母娘を見た気がした。
夕食はB定食(イワシ、コロッケ、米ナス)を食べた。

「バーバー吉野」(2003年、日本)を観る。
吉野刈りの背景は結局分からなかったのがモヤモヤだったけど
小学生の無邪気さはよく伝わった。
思春期あるあるをちょこちょこ出すことによって映画に何を加えようとしたのかは
あまり分からなかった。

サザエさんの再生リストを流しながら寝る。
暖かいので窓を開けて毛布一枚だけかぶって寝た。



2015/03/21

クマと過ごした国家試験までの日々-僕の小規模な嘆きその52

クマとの国家試験の勉強を回想する話
クマが国家試験に受かったので、国家試験までの一ヶ月半
クマとどのように過ごしたかをまとめておこうと思う。

1 12月15日頃から23日頃まで
クマと自分が一緒に過ごすようになったのは偶然の産物である。
自分がバイト帰りにふらりとクマが勉強しているところに立ち寄ったのが始まりである。
この時、国試を勉強するクマと一緒に過ごすことが決まった。
自分としてはクマと一緒にいられるうえに家に引きこもって電気代を費やすこともなくなるという
考えがあり、大いにいい提案だった。

はじめは大学の図書館で夕方まで過ごし、
17時を過ぎたら空き教室を探し22時前にクマが帰るまでそこで過ごすという過ごし方だった。
この頃クマは実習のレポートや卒業試験が残っていたので、それをやりつつ
国試の問題集を解くという過ごし方をしていた。

卒業試験が全て終わり、レポートも全て出せるめどが立ってようやく国試一本に
取り組めるようになったのは20日頃だったと思う。
この頃クマの実力は模試でも学年下位で、特に暗記が必要な分野の仕上がりが宜しくなかった。
暗記に適したテキストは持っていたが、大変分厚いものだったのでクマは手をつけていなかった。

そんなある時、クマが昔一冊の参考書を章ごとに分割して勉強していたことを
思いだし、それを実行する。
総量は変わらないが分割して薄い冊子の固まりになったことで
手に取りやすくなったことがクマにとってよかったようだ。
積極的に手にとって勉強するようになった。

またそのテキストには節ごとに一問一答方式の振り返り問題がついていた。
その問題を自分が出して、クマが答えるという勉強法も取り入れることになった。
覚えた問題はチェックを入れ、なかなか覚えられない問題もチェックを入れてしつこく
出題するように心がけた。


2 12月23日頃から1月26日頃まで
この時期は比較的開いていることが多い指導室の一室を見つけ、
そこを拠点として勉強するようになる。

この部屋の良い所が多くあり、
あまり広くないので暖房をつけたらすぐに暖かくなるところ
(クマは寒がりで部屋が暖かくならないと勉強したがらない)
両隣が会議室なので少々大声で喋っても問題なところ
あまり授業で使われないので一日中居座れる日が多かったところ
とこの部屋を使うメリットはたくさんあった。

はじめは教材だけを置いていたが、連続して居座っているうちに休憩時に食べるための
菓子、茶、湯沸かしケトル、水を常備するようになった。

暗記テキストの一問一答方式の問題を何度も出し、
特に覚えなければならない部分については指導室のホワイトボードに書き連ねて
覚えるという方法でメキメキと暗記すべき知識をものにしていった。

この頃自分は家からノートPCを持込んでいた。
朝の9時から10時頃指導室に来て、PCを起動する。
この頃クマは寝ていることが多く、起こして勉強させる。
基本的にクマが1人で問題集を解いている傍らで自分はPCをしていることが多かったが
帰る2時間前は一問一答をやるのが習慣になっており、
一日2,3時間はクマの国試に関わっていたと思う。

休憩は昼に1時間程度、19時頃に売店に食料を買い出しに行くための休憩40分程度は
必ずとり、それ以外に適宜休憩は入れた。
休憩時にお茶を飲んだり、おしゃべりをしたりして過ごした。
食料にお茶、お湯はふんだんにあったので困らなかった。

諸事情でいつもの指導室が使えなかった時はこまった。
教材やらを持ち出さないといけなかったし、空き教室は暖房がついていないことが多く
クマは部屋があたたまるまで縮こまっていることが多く能率が下がってしまう。
こちらとしても環境が変わるのは好きじゃないからいい気持ちはしなかった。


3 1月26日頃から2月1日まで
この状態が2月1日まで続くかと思われたが、職員に居座るのはよくないと注意され
それにショックを受けたクマは学校で勉強することをやめてしまう。

クマの自宅でひとりで勉強するよりは自分の部屋に来るのがいいと
いうことで29日までは自分の家に来て勉強をする。
この頃はもっぱらこれまでの仕上げという形でおさらいすることが多かった。

国家試験は1月31日と2月1日の2日あり、
その日は指導室の一室を取ってそこを控室とする。
試験を受けている間はそこに自分が滞在しているという感じで過ごした。

クマは試験を平常心で受けることができたようだ。
見たことがない問題が少なかったのと、受験する席が一番後ろだったから
人の視線があまり気にならなかったのがよかったようだ。



演歌歌手が大好きな兄弟の回、良回だったと思う(720日目~723日目)

3/17(720日目)
「人生ここにあり!」(原題Si può fare イタリア 2008年)を見た。
先入観なしから物事を変えていくことでこんなに変わって行くのかというのが面白かった。
適材適所ということをうまく捉えていて、個人的には
自閉症で全くしゃべれない人を「理事長」として使う場面が気に入っている。
この映画を見た後イタリアの精神医療の制度を知ったが、とてもいい制度だと思う。

天気がよく午後は歴史資料館に行って企画展を見学する。
帰りに歴史資料館が出している企画展の本を図書館で借りた。

イオンで切り身を買う。
いつもの時間を過ぎても半額になってないからどうしたものかと思ってしばらく待つ。
いつもより2~30分遅れて半額になった。

夕食はB定食(サケのムニエル、メンチカツ等)を食べた。

「砂漠でサーモンフィッシング」(原題:Salmon Fishing in the Yemen イギリス 2011年)を見た。
恋愛あり、夢を追うロマンあり、政治風刺ありといろいろ詰め込み過ぎた映画で
結局どれも中途半端だった。
結末もよく分からなかった。


3/18(721日目)
雨の一日。

クマが国家試験に合格した。
合格速報が出るまではクマはハラハラしていたが、自分はなんとなく
合格していると思っていたから番号が目に入った時はよし、やはりだったかと思った。

その後のクマは忙しく、方方に連絡しに回り、それから免許申請のため役所に行く。
そして家でお祝いをしてもらう。

久しぶりに郵便局で記念切手を買う。
最近シール式の切手がやけに増えている気がする。戦略か?

夕食はA定食(サバの西京焼き)を食べた。

明日友達が来ることが楽しみなような不安なような。


3/19(722日目)
昼過ぎ病院に行き、診断書をもらう。
自分の障害を今後の就労にも使えるように障害者手帳を申請することにしたからだ。

もらった足で役所に行く。
申請自体はスムーズにいったが、もらった診断書が他人のものだったらしい。
それは改めて病院から郵送することにしてもらった。
後ハローワークの就労意見書をもらうはずだがまだそれはもらえていない。

東京の友達が泊まりに来た。
お好み焼きを食べ、酒を飲みながら話す。
この時はじめて友達に自分の障害について話した。
友達はよく聞いてくれた。

友達は4月から東京郊外の大学院に進学する。
第一志望ではないがそれなりに名の通った大学だ。
そこで彼は形而上学という学問を専攻するという。
「美しさ」という感性を表す言葉が本当にそのものの性質を捉えている言葉なのか
どうなのかを検証する学問なんだそうだ。
日本ではほとんど研究はないそうだが、彼はやりたいと言っていた。

その後ラウンドワンに行き、バッティングで遊んだりゲーセンで遊ぶ。
途中、繁華街で「愚痴聞きます」というパフォーマンスをやっている人を見る。
愚痴を聞かせているサラリーマンの立ち姿がヒロシに似ていたから
ヒロシだヒロシだと二人で笑った。
酒を飲んでいたから大いに楽しめた。

また帰宅した後、哲学的な話を再びする。
そして3時頃寝た。

もし自分がまた学問的なことをやれるとしたら
近世の青侍か諸大夫の研究か、切手の印刷会社の研究をやってみたい。


3/20(723日目)
友達は11時過ぎに家を出た。
この後後輩のところに行き、その後祖父母のところに行くそうだ。

ハローワークに出す就労意見書ができているか問い合わせたが
まだできていないと返事が出たので外出する意欲を失う。

2014年度に発行された記念切手をまとめる。
ノートに手書きでまとめてみたが、この作業をやりながらこんなことに熱心に取り組むような
人間はそういないよなと思った。
まとめたものを見るといろいろおもしろい事実が分かった。
ただこれは13年度、12年度も見てみないともっとわからないだろう。
気力があればやってみたい。

クマは来週末県外に家族旅行に行くという。
しかし、母方の祖母の体調に合わせてホテル選びをせざるを得なかったので
実質の主役は母方の祖母になりそうだった。

久々に探偵ナイトスクープを観る。
演歌歌手が大好きな兄弟の回、良回だったと思う。





2015/03/18

あと十数分残して寝た(719日目)

3/16(719日目)
「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」(原題:Catch Me If You Can 2002年 アメリカ)を観る。
こういう展開だったのかと最後まで面白く見られた。
実話を素にしているそうだが、これを知ったうえで見ていたらそんなに楽しめなかった気がする。
「嘘の中で生きるのが楽だ」というカール捜査官の言葉がクッと来た。

友達が木曜に泊まりにくると思うと憂鬱になる。
何か理由をつけて断ろうかと思うくらいだ。
(別に彼が嫌いなわけではない。これが兄弟とかでもこんな気持になるだろう)

部屋の掃除をする。
雑巾も使って床も拭いた。
買い物にも行った。
この所毎日のように外出している気がする。

クマに架空の化合物を作れないかと頼んでみたら
そんな生半可にできるもんじゃないと怒られた。

夕食はA定食(イワシ)を食べた。

寝ながら「人生ここにあり!」を観る。
あと十数分残して寝た。



2015/03/16

「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」を見つつ寝た(718日目)

3/15(718日目)
名前をDEKILUKOから伊勢衛門に名前を変えた。
ついでにクマが描いた伊勢衛門の絵にプロフィール画像を変えた。
切手の画像よりずっとわかりやすい。

「幻影師アイゼンハイム」(原題The Illusionist、2006年、アメリカ)を観る。
19世紀末のウィーンの再現度が高くてそこが好きになった。
サスペンス的要素は薄く、ウール警部に好感を持てた。
トム・フィッシャーという俳優が気になっていたからその部分を色々見たけど
こそこそ嗅ぎまわる典型的な官憲っていう感じであまりいい印象を持てなかった。

映画メーターでこれまで見た映画を可能な限りまとめた。

17時過ぎ買い物のため外出。
CDを返すついでにまたDVDを2枚借りた。

今日は17時半の笑点が見られなかったので
水曜21時からやっているBSの方を見ようと思う。

興味をもったニュース
・インドで足し算のできない新郎に失望した花嫁、結婚式から逃げ出す

夕食はB定食(トラウトサーモンの味噌焼き、コロッケ)を食べた。
「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」を見つつ寝た。




2015/03/15

毒を飲んだナチスのゲーリング-僕の小規模な嘆きその51

昔の女性の話
時々昭和時代の本を読んでいると、
あれこれ今の時代にもいそうなきれいな人じゃないかと思うような
女性の写真をみることがある。

なんでだろうと自分なりに分析してみると
まゆが細い、髪の毛がさらさらというのが今と共通しているからだと思う。
それに写真が白黒だから今のファッションに合わないと思われる
色を感じさせないというのもあるかもしれない。


・戦犯の話
第二次大戦のゲーリングとかいうドイツの戦犯は
牢屋で寝る時手をベッドの布団から出させられたという。
ベッドの中に手を入れていると、中でこそこそ自殺をしでかすんじゃないかと
思われていたからだ
(そんな対策をしていたにも関わらずゲーリングは牢屋の中で毒を飲んで自殺してしまった)

眠れない時、気まぐれでふと手を布団から出すことがある。
しばらくそうしているが、寒くて手を引っ込めてしまう。
そんな時毎回決まってゲーリングの話を思い出す。
ゲーリングは寒いと思ったことはなかったろうか。こんな寝方をされるなんて
寝るまでが辛かったろうなと。

戦犯には同情しないが、人生の最後に眠り方を指示されないといけなかった男には同情する。



オッサン化水素という架空の化合物を作りたい(716日目、717日目)

3/13(716日目)
東京に住んでいる友達が後輩に会いに行くためこちらに来る。
19日に家に泊まることになった。
勿論歓迎はしているけれど、一方で友達が来ることを考えると
気が滅入ってしまう自分もいる。

午後クマに会う。
クマの父親が家で着るスウェットを買いにきたのだが、いいものがなかった。
その後家電量販店で商品を色々眺める。
クマが欲しがっている3DS,妖怪ウォッチのゲームソフト、直に買い替えるスマホ、
パソコンを眺めては色々話した。

クマとわかれた後は図書館で新聞を読み、
買い物して帰宅。
夕食はAだったかBだったかその形態の定食を食べた。


3/14(717日目)
この日クマは献血の呼び込みのボランティアに行った。

この日は病院に行く。
土曜だから混雑していて、いつも座る待合室の外でしばらく待っていた。

未だに手続きに必要な意見書や診断書を書いてくれていなかった。
月曜に取りに行きたいが、できているだろうか。

カウンセリングを受ける。
この先2週間の外出後の気分を記録することが決まった。
ここで自分の症状について伝えた。
自分は文字や文章の形状(フォントや段落、送り仮名など)、細かいところに気が向いてしまいそれについて
人よりしばらく考えてしまう傾向があるようだ。
また「どう?」や「ずっと」と言われると時間や程度の幅がどの程度か
分からず適度に伝えきれなかったもやもや感が残ってしまう。
そんなことを伝えた。

帰宅途中コストコでピザを食べる。
安くでピザが食べられるからいいものの、鳩が寄ってくるからそれだけが困る。

さらにCDとDVDを借りる。
「幻影師アイゼンハイム」と「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」と「砂漠でサーモンフィッシングを」
の3つを借りる。
選ぶのに迷ってしまい、DVDのタイトルを眺め続けているうちに疲れてしまった。

帰宅後無為にすごす。
夕食はA定食(サバの麹焼き)を食べた。

オッサン化水素という架空の化合物を作りたい。




2015/03/13

芸人ヒロシは今-僕の小規模な嘆きその50

・切手趣味がすれ違う話
4月に桜とハナミズキの切手が出る
最近全然記念切手を買っていなかったけどデザインに一目惚れして即買いたいと思った。
自分は植物特に花の切手が好きで、なんというか
繊細に書かれたデザインが妙に気になってしまう。

一方で、一応使用済み切手の収集は続けている。
毎日オークションサイトで新着出品のチェックを入れているし、
気が向いた時に落札するよう心がけている(忘れていて終了していることが多いけど)

ところで最近切手に注目する女性が多い気がする。
特に昨年ごろから増え始めた気がする。
たぶん郵便料金が値上げする際に差額切手として発行された2円切手の図柄が、
「エゾユキウサギ」だったのが引き金だろう。
その後もタイミングよくふみの日切手やキャラクターものの切手を出したことで
かわいい切手に注目する女性が増えてきたと、
自分は考える。

またここにきて日本郵便公式キャラクターの「ぽすくま」(2012年デビュー)が、
地道に春と秋に切手として登場し続けた成果がようやく表れ始めてきて
クマのキャラクターが好きな女性の心をつかみ始めてきたのも
プチ切手人気の一因といえるだろう。

一方従来の切手収集家たちはこの事態を快くおもっていないだろう。
彼らは若いころに発行された切手こそが正当なものと信じているので
最近の、人が撮影した写真を貼り付けただけの切手やキャラクターものの切手には
我慢ならないのだ。
そういうことをやるのは外貨収入の一環としてとにかく外国人に受けのいい切手を
発行し続ける貧乏な国のやりかたと同じだと憤っている。

そんな彼らは毒を吐くものの、今どきの切手をかわいいと感じる女性パワーに
負けてほとんど日の目を見ることはない。
今どき何でも女性向けに商品を開発しないと売れない時代だから
民間企業の日本郵便も例外なく「かわいい切手」をどんどん発行し続けるのだろう。


・最近のヒロシの話
1年位前から芸人のヒロシのTwitterをフォローしているけど
随分変わった気がする。
去年の今頃はホムカミという番組でよく海外に行っていたから仕事関連のツイートも
ちらほらあったけど
ホムカミが終わってしまった辺りから仕事関連のツイートの代わりに
芸人との絡みの写真が増え、年末くらいから趣味のキャンプの写真が増えてきた。
そしてとうとう芸人仲間とキャンプに行った動画を自分で編集してアップし始めた

キャンプなんかしてないでネタ考えろよという意見もあるだろうが
自分はなんだか幸せそうに見えてくる。
というのもヒロシのキャンプ趣味は小学生の頃からのもので、
その頃から本気でキャンプを楽しんでいたからだ。

その頃は家も裕福じゃなかったから、おそらくヒロシ少年はキャンプの本に出てくる
アウトドアグッズを見ては高くて手が出せないことに
不如意さを抱いていただろう。
しかし今となってはキャンプ道具を手に入れるだけの余裕はあり
車を飛ばして山奥のキャンプ場へ一緒に行く仲間もいる。

そんなヒロシが新しいキャンプ道具を開封しておーって感動している様子を見ると
なんだか微笑ましく思えてもくる。





だから日記部分もこんなに長くなった(713日目、714日目、715日目)

3/10(713日目)
雪がちらつく寒い日だった。
とはいえ、そこまで極寒に感じることはなかった。

協会けんぽに医療費返還の申請をしに行く。
事情を説明すると
去年の9月、受診。この時協会けんぽには入っていたが保険証が届いておらず
誤って前職で使っていた人材派遣健康保険組合の保険証を出してしまった。
その時は3割負担で済んだしなんともないと思っていた

今年の1月人材派遣健康保険組合から
9月の受診は無資格受診なので残りの7割(8000円ちょいした)を払うように言われ
納付期限ギリギリに支払う

日曜日に領収書とレセプトが届き、
これを受診したときに入っていた健康保険組合に持って行って医療費返還の申請を出せば
人材派遣健康保険組合に支払った金額を返金してもらえることを知る

こういう経緯があった。
この申請書はネットからダウンロードして印刷できるので郵送することもできるが
自分には一つ問題があった。
自分は10月に会社を退職して今は別の健康保険に入っているので協会けんぽの保険者番号が
わからないのだ。
だから窓口にそれを聞きにいかないといけない。

幸いなことに協会けんぽの支部は自分の家の近所にあった。
(いろんな機関が近くにあるのでなんだかんだで自分の住んでいるところは便利だ)
だから本を返すついでに協会けんぽの支部に行くことにした。

窓口に行って自分の保険者番号が分からないというと
生年月日と会社名と名前を書くよう指示され、机と椅子のあるカウンターに案内される。
カウンターの向こうは電話がひっきりなしになっていて忙しそうだなと思った。

しばらくすると職員のおばちゃんが来て、
目の前でレセプトの封を切る
そしてレセプトを見ながら申請書の書き方をその場で教えてくれた。
ただ、傷病の経緯を説明するときに「職場の環境で・・・」と書いたら「それはちょっと・・・」
と言われてしまって書き直しになった。
どうやら職場が原因となると労災になってしまうので後々面倒なことになるらしい。
自分も払い過ぎた医療費をさっさと返して欲しかったから指示に従う。

おばちゃんが丁寧に指導してくれたのできちんと書類は書けた。
月末頃にお金は振り込まれるそうだ。

手続きを終えた後、図書館で本を借り、新聞も読む。
その後マックスバリュで魚の切り身を買う。
塩いわしが売っていたから珍しいと思いこれも買う。
夕食はこれがメインのA定食となった。
ほうれん草が安くなっているのにびっくり。


3/11(714日目)
震災から4年が経つ。

この日大学でクマに会った。
暇そうにしていたから「医学博物館に行かない?」と誘ったら予想外にのってくれた。
大学の敷地内には日中ほとんど人がこない医学博物館というのがある。

クマは興味深げにいろいろ眺めていた。
昔の西洋の医学書をみてわかりにくいといい、
江戸時代の骸骨模型を見てこれにコートや帽子をかけて家におきたいという。
昔のメスや医療器具を見て今とそんなに変わってないじゃんと
なーんだっていう顔をする。

震災があったからそれ関連で地震はいつくるかわからんもんなぁと
言うとクマは「あたしはいつ死んでもいい」と言う。
一瞬ぎょっとしたが、自分の命に価値がないからいつでも死んでもいいという意味ではなく
何度も死を目前にした経験を持っているから死ぬのがこわくない、
人間はいつ死んでしまうか分からないということを実感としてわかっているから、死に対してそんなに恐れを抱いていない
そういう意味で言ったようだった。
このように自分で解釈したが、あっけらかんに「いつ死んでもいい」という
クマの心境は完全には理解できなかった。
死ぬことを知ってるか知らないかの違いだろう。

クマとわかれた後は買い物をして帰宅。
A定食(鮭のバジル焼き)を食べた。


3/12(715日目)
午後クマに会う。
ショッピングセンターのダイソーで待っていたらクマが現れた。
連絡はしていたけど、スマホが全然起動しないので勘でここまできたという。

クマはあと2日でバイト先の個別指導塾をやめるのだが
その時に塾に備品を贈ろうと考えているという。
それを100円ショップで揃えた。

贈り物なのでラッピングもする。
クマは「クマラッピングその他いろいろ株式会社」と名乗って
母親から頼まれたラッピングや工作を受注しているので
ラッピングをやるのは慣れている。

自分も一部手伝う。
少々手先を使わないといけない場面があり、大層苦労したけど
粘り強くやったらやりぬくことができた。ちょっとした達成感を味わった。

久しぶりにプリクラを撮る。
今まではキラキラのスタンプを散りばめるくらいだったけど
楽しみながら落書きをすることができた。

その後近くの公園で散歩。
ネコが多い公園だったからクマは楽しそうだった。

わかれた後は買い物をして帰宅。
夕食はB定食(サバの麹焼き、揚げ出し豆腐)を食べた。

シャワーを浴びながらふと小規模な嘆きのネタを思いつき、
書き始めたら止まらなくなった。
だから日記部分もこんなに長くなった。



2015/03/10

かわいいなぁと思った(712日目)

3/9(712日目)
一日ずっと寝ていた。
寝ても寝ても寝足りないくらい。

明日健康保険組合に医療費立て替えの申請をしに行こうと決めた。

夕食はB定食(塩鮭、揚げ出し豆腐)を食べた。

東京の友達とスカイプする約束だったけど
直前でやめた。
1時間以上最低話すと思うと急に気が滅入ってしまったからだ。

最近あまりエネルギッシュになれない。
元気が吸い取られた感じがする。

クマが20歳の時に振袖姿で撮った写真を見せてくれた。
かわいいなぁと思った。


2015/03/09

夕食はA定食(麹焼き)を食べた(705日目~711日目)

3/2(705日目)
この日は調子よく勉強できた。

日付が変わったあと、クマと配信をする。
相変わらず人は来ないが昔からの知り合いが来てくれた。


3/3(706日目)
今日はクマの誕生日。

この日は午後から雨が降り出した。
レインコートを着て外出したけど、あまり役に立たず、ずぶ濡れになった。
伸びすぎた前髪がべったりくっついて気持ち悪く、
髪を切る決心を固めずにいられなかった。

17時頃にイオンに行くと、切り身が半額になることが分かった。
今回も割りと手に入った。


3/4(707日目)
前日とは打って変わっていい天気。
午前は1時間半資格勉強に集中できた。

午後は17時頃に家を出て髪を切る。
短すぎず長すぎずの長さで気に入った。

カメラ屋に務めるWさんと繁華街のマックで会う。
何かあったのか、とうとう辞めることになったのかと思っていたら
仕事の大変な話がメインだった。
頑張ってるんだなぁと思うと、こっちはちょっとつらくなった。


3/5(708日目)
見たい映画をピックアップしてフォルダの中に整理した。
DVDもしくはネット配信で見たい。

クマはこの日念願の妖怪ウォッチの映画を見に行くことができた。
後半からずっと泣いていたという。

最近YouTubeでサザエさんの動画を見るのにハマっている。

この日はあまり勉強できなかった。


3/6(709日目)
コンビニに買い物に出た以外では外出しなかった。

ネット上で解ける模擬試験をやってみたところ
6割いくか行かないかの得点で不安になった。
特に物理化学分野が弱いとわかった。
危険物の性質は割りととれる。法令は合格ラインかそれより少し上の得点率。

時間があるとゲーム版の妖怪ウォッチの動画を見ていた。


3/7(710日目)
一日外出せず家で過ごす。
この日は物理化学を中心に参考書を見直す。

夕食はA定食(鮭のムニエル)を食べた。


3/8(711日目)
天気がよく、暖かい一日だった。
冬物のコートがじゃまになりそうな陽気だった。

今日は危険物取扱者の試験日。
受験者は男ばかり。自分と同じ雰囲気の繁華街にいると浮いてしまうような雰囲気の人ばかりだった。
いざ解いてみると、予想していたほど難しくないなと感じた。
50分位して退出。27日に結果が分かる。

帰宅途中に図書館で本を返したり、本棚をのぞいたりしていたが
そのうち段々疲れてきて、16時過ぎに家に帰る。
気疲れか、試験が終わった途端にだれてしまった感じだった。

払った医療費の一部が戻ってくるかもしれない。

夕食はA定食(麹焼き)を食べた。




2015/03/02

だから資格試験も思うように進まなかった(702日目、703日目、704日目)

2/27(702日目)
クマからこれ以上歯科診療費も含めて支援できないと言われた。
当然のことだと思う。

9時から10時すぎまで図書館で過ごす。

10時半から相談に行く。
自分の障害を認めつつどう就労に活かしていくのかという相談。
とりあえずやるべき手続きのアドバイスをもらった。
ハローワークにも行き、それ関連の書類ももらう。
タイミングよく翌日が病院だから書類は比較的早く揃うだろう。

16時半歯医者に行く。
今日は上の歯の抜歯。麻酔をしてもらう。
生まれて初めて麻酔をしてもらったが、特に痛いとは思わなかった。
抜歯も20秒ほどで終わる。ギリギリという音はしたけどあぁ抜けたのかという
感じのあっけないものだった。

抜いた歯は持ち帰る。
虫歯のせいで随分欠けていた。自分の抜歯された歯を持ち帰るのははじめてだから
こんな風に欠けていたのかと何度も手にとって眺めていた。

夕食は何を食べたかよく覚えていない。


2/28(703日目)
9時前病院に行く。
病院の後午前中に歯医者に行かないといけなかったからいつもより早めに出かけた。

診断はいつもどおりだったが、昨日アドバイスしてもらったことを参考に
就労に必要な書類の準備を進めることにした。
その後のカウンセリングも、それ関連の話が出た。
カウンセリングで、3/8の危険物取扱者の試験まではそれに集中することを決めた。

病院の後歯医者へ。どうにか間に合った。
前日抜歯した後の消毒。先生が抜歯した跡を見たが、特に問題はないと言っていた。
後でクマにこの日歯医者に行ったことを報告したら、母親とすれ違ったかもしれないから
ヒヤヒヤしたと言われた。(クマの母親は9時頃に行ったので結局すれ違っていない)

夕食はA定食(サワラの麹焼き)を食べた。

夕食後、クマと配信をする。
今回も人は集まらなかったが古くからの知り合いの人が1人来て、
その人にクマを紹介することができた。


3/1(704日目)
夕方まで家で過ごす。
夕方近所のスーパーに食料を調達した。

午後クマとスカイプで話した。
スカイプをつなぎながら昼食(ラーメン、缶詰)を食べる。
最近は袋のラーメンを食べることが多い。

夕食はB定食の野菜抜き(サバのフィーレ、揚げ出し豆腐)を食べた。

頭が混乱してしまい、何から手を付けていいかわからなくなった。
だから資格試験も思うように進まなかった。