8/22(1974日目)
今日も不安が強く、午前中2度薬を飲んで落ち着かせようとした。
クマも絶不調のようだ。
午後も不安やそわそわとした感じが続く。
手が空く時間は昨日よりも減ったもののそれでも勤務時間の半分は何もすることのない時間だった。
もらったチケットで野球の試合を観戦しにいく。
試合自体は悪くはなかった。ホームランも出て盛り上がりもあった。
ただ少し居づらさは感じた。
クマも絶不調のようだ。
午後も不安やそわそわとした感じが続く。
手が空く時間は昨日よりも減ったもののそれでも勤務時間の半分は何もすることのない時間だった。
もらったチケットで野球の試合を観戦しにいく。
試合自体は悪くはなかった。ホームランも出て盛り上がりもあった。
ただ少し居づらさは感じた。
8/23(1975日目)
午前中は他部署の仕事で時間を埋める。
午後は不安が強く、落ち込みもある。
フェリーが欠航になったのでバスで帰る。途中ホームセンターでボランティアに行くときの装備品を買う。
一度ボランティアに行ったあとあんなものを揃えていればよかった、これはいらなかったとか反省すべき点が色々あったのでそこを生かして買うことにする。
午後は不安が強く、落ち込みもある。
フェリーが欠航になったのでバスで帰る。途中ホームセンターでボランティアに行くときの装備品を買う。
一度ボランティアに行ったあとあんなものを揃えていればよかった、これはいらなかったとか反省すべき点が色々あったのでそこを生かして買うことにする。
8/24(1976日目)
手が空く状況は続く。
やはり不安はあり、午後になってからは少し落ち着いてきた。
朝強く、午後には少し落ち着く。不安に関してはもはやそれが日常だ。
明日から夏休みが始まる。
何日かボランティアには行こうと思う。
やはり不安はあり、午後になってからは少し落ち着いてきた。
朝強く、午後には少し落ち着く。不安に関してはもはやそれが日常だ。
明日から夏休みが始まる。
何日かボランティアには行こうと思う。
8/25(1977日目)
県がボランティアバスというものを用意しているようなのでそれに参加することに。
その予約をしておいた。
8/26(1978日目)
昨日予約していたボラバスに乗り込むために、7時に家を出る。
昨日予約していたボラバスに乗り込むために、7時に家を出る。
広島駅北口の集合場所にはポツポツと人が集まっていた。
受付を済ませると、呉・竹原・坂のどこに行きたいか希望を聞かれる。
自分は一番被害の大きそうな小屋浦に行きたかったので、坂行きのバスに乗ることにした。
受付を済ませると、呉・竹原・坂のどこに行きたいか希望を聞かれる。
自分は一番被害の大きそうな小屋浦に行きたかったので、坂行きのバスに乗ることにした。
災害から2ヶ月近く経とうとしていても、小屋浦はまだまだ復旧をやり始めたという印象だった。道端には土砂や土嚢袋が積まれており、その向こうの家の敷地にはまだ土砂や瓦礫が残っている。重機やトラックが動き回っており、狭い道を土埃が舞っている。
そんな道をひたすら登って依頼のあったお宅へ。
小屋浦の山手にあるそのお宅は土砂の片付けのめどはついたものの、斜面が崩れそうな箇所があるので、崩落をふせぐためのブルーシートをかぶせてほしいとのこと。
ただ、斜面は急な上、草木も生い茂っているため、草木は取り除き、押さえの土のうがおけるような平らな面を作る必要がある。
小屋浦の山手にあるそのお宅は土砂の片付けのめどはついたものの、斜面が崩れそうな箇所があるので、崩落をふせぐためのブルーシートをかぶせてほしいとのこと。
ただ、斜面は急な上、草木も生い茂っているため、草木は取り除き、押さえの土のうがおけるような平らな面を作る必要がある。
素人一人だけなら困難な作業だが、15名ほどと大人数のグループだったこと、この手の作業に詳しい方が現場監督となってくれたことで、目標内に終えることはできた。
小屋浦という地域は被害が大きいということもあってか、社協経由のボランティアと社協を通さず独自にボランティア組織を作ってボランティアを行う形態の2タイプが併存する箇所だった。
前者は経験の浅さを人数の多さでカバーして依頼に答え、後者は人数は少ないものの、特殊技能を持つ人や長期間ガッツリ取り組める人で構成された少数精鋭部隊で依頼に答えるという形態をとっているような印象があった。
どちらも小屋浦の復旧・復興がゴールだからいがみ合うようなことはなく、連携しあっているようだが、なんとなく微妙な距離感は感じられた。
作業が終わったのは14時半頃。ここから広島駅に帰るのだが、なかなかバスが来ない。
1時間ほどバスを待ち、渋滞にひっかかりながら広島駅に1時間で帰る。個人的にはボランティア作業以上にこの移動がハードだったような気がする。
1時間ほどバスを待ち、渋滞にひっかかりながら広島駅に1時間で帰る。個人的にはボランティア作業以上にこの移動がハードだったような気がする。
7月のボランティアよりは元気が残っており、食事も完食。
これなら明日もボランティアできそうだなと安心し、眠りについた。
8/27(1979日目)
朝起きるとあちこちの部分で筋肉痛。
朝起きるとあちこちの部分で筋肉痛。
今日は行くのをやめようかなと思ったけど、行かないでいたら行けばよかったと後悔しそうだったからやはり行くことにした。
昨日と同じ小屋浦に行きたかったので、坂町のボランティアセンターを目指してJRへ乗り込む。
9時過ぎボランティアセンターに到着。説明を聞いていると、複数の地区での参加を募集しており、小屋浦はその中の一つのようだった。
中身を聞いていると、大抵の地区で土砂だしを行っており、歩いて10分くらいと割と近い。
小屋浦となると、
バスを待つ→バスに乗って移動→バスを降りてサテライトまで移動→さらにサテライトから現場に移動と、移動だけで時間がかかりそうだったので近い地区で土砂だしができるところに行くことにした。
小屋浦となると、
バスを待つ→バスに乗って移動→バスを降りてサテライトまで移動→さらにサテライトから現場に移動と、移動だけで時間がかかりそうだったので近い地区で土砂だしができるところに行くことにした。
そして向かったのが坂地区。
坂町のなかでも山手のほうで、昔からの住民が住んでいる地区。
町の真ん中を流れる総頭川が氾濫したことで川沿いに大量の水と土砂が押し寄せたところだ。
坂町のなかでも山手のほうで、昔からの住民が住んでいる地区。
町の真ん中を流れる総頭川が氾濫したことで川沿いに大量の水と土砂が押し寄せたところだ。
その中の一軒のお宅で床下の土砂だしを中心に作業をさせてもらうことになった。
畳と床をはがしているので直接土砂をすくえるものの、梁が残っているので足元は悪い。
時々スコップが梁に引っかかりながらも、バケツに泥混じりの土砂をすくっては運び、すくっては運びの繰り返し。
昨日より泥や土砂が足元やズボンにつきながらの作業。汗もびっしょり。
頭のてっぺんから足先まで汗に濡れながら作業にひたすら取り組んだ。
時々スコップが梁に引っかかりながらも、バケツに泥混じりの土砂をすくっては運び、すくっては運びの繰り返し。
昨日より泥や土砂が足元やズボンにつきながらの作業。汗もびっしょり。
頭のてっぺんから足先まで汗に濡れながら作業にひたすら取り組んだ。
作業自体は相変わらずきついものの、チームの雰囲気は昨日より一体感があり、いい雰囲気で作業できたように感じる。
個人的には県外からの参加者が多いのに驚いた。群馬から夏休みを利用してきた若い女性、仙台から来た男性、福岡から来た大学生。チームの半分以上は県外の人だったと思う。
東北の震災のころからボランティアに参加していて誰よりも場数を踏んでいる男性には驚かされた。
普通のスコップではすくいにくいような箇所の土砂出しには、サバイバル用の小さいスコップを用意し、梁に打ち込まれたままの釘が抜けないときは、バールを用意してさっと抜く。ここにもスーパーボランティアがいたと素直に感心した。
東北の震災のころからボランティアに参加していて誰よりも場数を踏んでいる男性には驚かされた。
普通のスコップではすくいにくいような箇所の土砂出しには、サバイバル用の小さいスコップを用意し、梁に打ち込まれたままの釘が抜けないときは、バールを用意してさっと抜く。ここにもスーパーボランティアがいたと素直に感心した。
昼食時間、チームのリーダー(この人は坂町在住で地元の人と顔が利く)から坂町でこれほどの被害が大きかった背景を聞いた。
一つは地質と地形の問題。土質がサラサラしたまさ土なので、水を含むとあっという間に崩れる。そして坂地区は地形が急なので山が崩れると一気に流れてくる。
2つ目は水害対策の不十分さ。急な地形を流れる総頭川は上流に砂防ダムを築くなどハード面では一応水害対策を施していた。しかし、小規模河川ゆえ、水害を想定したハザードマップを作っていなかった。住民は津波や高潮が来たらどれほどの被害を食らうか想定できても目の前の川が溢れたらどうなるか想定しにくい状況だった。
3つ目が宅地化。坂地区では明治末期にも今と同じような規模の水害が発生している。気象予報や防災技術が発達した今になっても同規模の水害が発生してしまったのは、明治末期に桑畑が広がっていた土地に住宅が立ち並ぶようになり、そこに水やら土砂やらが流れ込んでしまったからなのだそうだ。
2つ目は水害対策の不十分さ。急な地形を流れる総頭川は上流に砂防ダムを築くなどハード面では一応水害対策を施していた。しかし、小規模河川ゆえ、水害を想定したハザードマップを作っていなかった。住民は津波や高潮が来たらどれほどの被害を食らうか想定できても目の前の川が溢れたらどうなるか想定しにくい状況だった。
3つ目が宅地化。坂地区では明治末期にも今と同じような規模の水害が発生している。気象予報や防災技術が発達した今になっても同規模の水害が発生してしまったのは、明治末期に桑畑が広がっていた土地に住宅が立ち並ぶようになり、そこに水やら土砂やらが流れ込んでしまったからなのだそうだ。
まさ土が被害を拡大させたのはニュースで知ってはいたが、坂町特有の事情は知らなかったので、ここで被害が大きかった理由をより深く理解できた。
福岡から来た大学生と仲良くなる。
水害報道を見て、自分でも何かしたいという思いにかられ、18きっぷで坂までやってきたそうだ。
坂までやってきたはいいが、泊まるところが確定せずどうしようか考えていたところ、テントを張って寝泊まりしながらボランティア活動しているという団体に泊まっていきなと誘われ、そこで2泊過ごすことにしたとのこと。
ただ、その団体は時間を決めず独自でボランティアをしているようだったので、ペースがわからずボランティアをするわけにはいかないと社協経由のボランティアに参加することにしたとのことだった。明日もボランティアをするとのことだった。
水害報道を見て、自分でも何かしたいという思いにかられ、18きっぷで坂までやってきたそうだ。
坂までやってきたはいいが、泊まるところが確定せずどうしようか考えていたところ、テントを張って寝泊まりしながらボランティア活動しているという団体に泊まっていきなと誘われ、そこで2泊過ごすことにしたとのこと。
ただ、その団体は時間を決めず独自でボランティアをしているようだったので、ペースがわからずボランティアをするわけにはいかないと社協経由のボランティアに参加することにしたとのことだった。明日もボランティアをするとのことだった。
今日はびっしょりと汗をかいた。
疲れよりも汗がまとわりついていることの不快感がつよい。
帰ってすぐシャツやらズボンやらを脱ぎ、きれいな服に着替える。
疲れよりも汗がまとわりついていることの不快感がつよい。
帰ってすぐシャツやらズボンやらを脱ぎ、きれいな服に着替える。
予定もなければ明日も同じ坂町でボランティアをする。今日チームで一緒になった人と再会するかもなと思いながら床についた。
8/28(1980日目)
今日もボランティアに行く。
今日もボランティアに行く。
坂地区で今日もやろうかと思っていたが、遅くにきたせいか自分は小屋浦地区へ送り出された。
この日の現場は床の上に数十センチも土砂が堆積した家。
家主さん曰く、上流の砂防ダムが決壊してそこに溜まっていた泥や土砂が一気に流れ込んだとのこと。
家主さん曰く、上流の砂防ダムが決壊してそこに溜まっていた泥や土砂が一気に流れ込んだとのこと。
今回はベテランボランティアの指導のもと、ひたすら土砂を掘り、一輪車で運ぶ作業。
量が量だけに、1日で終わる量ではない。それでも台所とおぼしき場所の床が見えたときは頑張ったかいがあったと感じる。
今日はよく働いたと思う。
明日はクマが家にやってくる。
量が量だけに、1日で終わる量ではない。それでも台所とおぼしき場所の床が見えたときは頑張ったかいがあったと感じる。
今日はよく働いたと思う。
明日はクマが家にやってくる。
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