2018/11/29

だから自分の今後の業務に生かせるかも知れない表作りに没頭した(1995日目~2001日目)

9/12(1995日目)
この日は絶不調だった。

この日所属長に体調の不調を相談する。
直属の上司に相談しなかったのは、プライベートなことを打ち明けるほど信頼してないからだ。
現状を報告すると、時間がたてばよくなるかもと言う。
自分もそれには賛同ししばらく様子見とすることにした。


9/13(1996日目)
朝から気持ちが重いのは変わらす。
昨日よりは少しだけまし。やたらと人の話し声が気になってしょうがない。

午後は手すきが生じ始めた。


9/14(1997日目)
この日は2時半に目覚めた
もう一度寝ようとしても寝られない。
朝まで一睡もできなかった。
こんな状態なので、朝から吐き気と腹痛に襲われる。それでもなんとか出勤できたら吐き気も頭痛も収まるだろうと思い、無理をおして出勤する。

午後にかけて体調は少しずつ回復した。
やるべきこともできてよかった。


9/15(1998日目)
病院の日。

帰りに久々にシャツを買った。半袖のシャツだったが考えてみればこれからのシーズンではこれの活躍の機会がないことに気づく。

夕食はカレーを作った。


9/16(1999日目)
広島市安芸区の災害ボランティアに行く。

説明があるまで待機していると、男性10名ほどのグループを編成したいと声がかかり、その中に組み込まれる。
作業内容は庭先の土砂出しと、土砂が流れたことで位置がずれてしまった物置の移動。

今回は社協の職員さんも一緒に参加していた。
今までは送り出すところしか見たことなかったので新鮮に見えた。


9/17(2000日目)
この日でブログを書き始めて2000日になる。
2ヶ月以上溜め込んでいるものの、毎日何かしらの記録を残してきたということは褒めるべきことだと思う。

クマに会う。
友人の結婚式用のムービーを撮ってもらいたかったようだ。
はじめはデジカメを用意して撮影に臨んだが、音が収録されてないなどうまく撮影できない。
スマホで撮影することにしたら、撮影はすぐ終わった。
その後おしゃべりをして帰る。

夕食は残っているカレーを食べるも、放置しすぎたか、食べると腹痛に。
まずいと思い、食べるのをやめるも腹痛はしばらく続いた。


9/18(2001日目)
朝から強い緊張が続く。
それに伴う吐き気や腹痛も起こる。

緊張は午後になって落ち着いてきた。
それに伴い吐き気もなくなっていた。



やるべき作業は済ませている。
だから自分の今後の業務に生かせるかも知れない表作りに没頭した。


2018/11/28

作業は少し暇だったので来月の作業の準備に少し取り組んだ(1988日目~1994日目)

9/5(1988日目)
朝から落ち込みが入る。それは少しずつ回復していった。

フェリーに乗ろうと早めに帰り支度をしていたが、上司に呼び止められたため、足止め。
このまま走っていくと間に合わないのでタクシーを使っていく。タクシーのおかげでギリギリ間に合った。


9/6(1989日目)
不安感が強く、落ち着かずソワソワする。
時間の余裕はあるので、薬を飲んでたっぷり休憩して一時間乗り切る。

帰りに借りていたマンガがレンタル期間が過ぎていたことに気付き、あわてて返しに行く。返したついでに、福満しげゆきの最新刊を買う。
ちなみにこれを書いている10月半ばになってもカバービニールすら外していない。


9/7(1990日目)
今日は手すき気味でないので資料作りに勤しむ。
16時頃強い雨と雷があることがこれは帰れるかなと思っていた。けれども帰る頃には雨は止み、普通に帰れた。

頭痛があり、まだまだがまんできるぞと言い聞かせて職場では過ごした、しかし帰り道にどうしても痛くなり一回ぶん飲む。
一回飲んでも効かず、さらに2回目3回目4回目と飲んでようやく鎮められた。


9/8(1991日目)
特になにもない。
レシートの記録によれば食料を買い出ししていたようだ。


9/9(1992日目)


特になにもない。
レシートの記録によれば、この日も食料を買い出ししていたようだ。


9/10(1993日目)
今日から電車通勤に戻る。
遠いフェリー乗り場まで移動せずに近所の駅から小一時間で職場に着けるのは改めてありがたいことだ。

いつもの電車に乗ったら、徐行やら信号待ちで遅れ、ギリギリの時間に出社した。
一本早く来るべきだろう。

この日は前日の夜から気分が落ち込んでおり、午前中から緊張感やソワソワする感じ、憂鬱な気持ちが支配していた。
なんとか1日を乗りきり、帰宅の途へ。
カレーを無性に食べたくなり、食材を買って今日の夕食に。
満腹になると眠くなりそのまま寝る。
涼しくなり、外は虫の声がしていた。


9/11(1994日目)
この日は7時間半ほど寝た。
昨日のような遅刻ギリギリはいけないので、一本早い電車に乗る。空いているかと思った予想は大きく外れ、ひどい混み具合。しかも途中で降りてくれない。



この日の調子は頭が重く、やや憂鬱気味。
作業は少し暇だったので来月の作業の準備に少し取り組んだ。


2018/11/27

やめようかと思ったほどだった(1981日目~1987日目)

8/29(1981日目)
クマが家にやって来た。
昼寝をしたり、おかきを分けあってたべたりして楽しく過ごす。
今日で休みが終わることを忘れてのんびりできた。


8/30(1982日目)
この日から仕事だ。
3日間に自分の仕事を代行してくれた人たちにお礼を言うお礼参りも終わり、仕事に取りかかる。

量は多くないとはいえ、休みモードが残っているせいで、ダラダラ気味だった。
いつもはあまり考えない早く仕事終わってくれないかなということばかり考えていた。


8/31(1983日目)
今日で8月も終わり。
今日もダラダラ気味で過ごした。

帰りはいつものフェリーではなく、高速船で帰る。
フェリーの船上から見る高速船は、みるみる追い抜いていく船でいつか一度は乗ってみたいものだと思っていた。
今回は絶好の機会。目的地に20分程度でつくことに大きな驚きを感じる。


9/1(1984日目)
今日もボランティアに出かけようと思っていたが、雨のためボランティアは中止。
夕方、雨があがってから役所のサービスコーナーへ証明書をとりに行った。


9/2(1985日目)
晴れ渡った日曜日。
小屋浦地区へボランティアに出かけた。
前述したようにここの地区のボランティアは、社協主導の拠点と民間主導の拠点が併存している。
これまでは社協主導の拠点からやっていたが、民間主導のところもどうなのか気になったので、そちらに登録して参加してみることにした。

早めについたので一緒についた人ととりあえず拠点のある公園の土砂かきを指示される。10分くらいやったところで今度はあるお宅の門前に積んでいる土嚢袋をダンプに積んでほしいとの指示。
それをひととおりやると、家主の方から土で埋まった排水ますを掘ってほしいと頼まれる。這いつくばってどうにかパイプが見えるくらいまで掘り起こした。

それが終わると再び拠点へ。
拠点では団体できたボランティア部隊が朝少しやっていた土砂かきをしている。
それに加わろうと思うも、これは団体の仕事なので、別の仕事が来るまでまってほしいとのこと。しばらく待機。

待機していると、山手の住宅で積んでいる土嚢袋を撤去してほしいとの指示が。
荷物を背負って坂道を上がっていったお宅はなんと、一週間前にブルーシートを張る作業をしたところだった。
雨も降ったがブルーシートは特別ずれている感じはしない。
今回はブルーシートとは関係なく、家の裏手に積んである土嚢袋の運び出しと、まだ残っている土砂のかき出しが作業内容。
家の玄関先まで軽トラでも来られたらいいが、ここは一輪車一台が通れるくらいの狭い道。
バケツリレー方式でどんどん運び出す。
ひととおり土嚢袋を運び出したら今度は土砂を土嚢袋に詰める作業。
自分は土嚢袋に土嚢スタンドをさし込み、土の入った土嚢袋の口を縛る役割。
楽なように見えるが、スコップ担当はどんどん入れていくので、休みなしでフル稼働しばなしだった。

応援も借りながら作業を続け、15時半に作業終了。
社協経由でないため、いつもより長く取り組むことができた。

それにしてもハードな1日であった。
個人参加ということもあり、なかなか10分作業10分休憩の規則正しい動き方ができなかった。拠点の運営スタッフ自身も復旧作業に携わっているせいか、スタッフ間の連携も不足気味な印象を受ける。
資機材の装備は多いがそれ以外は少なめ(全くないわけではない)
多分はじめてボランティアする人間がここで登録、作業開始となったら途中でバテて動けなくなるだろう。
装備を十分に揃え、数日単位で腰を落ち着けて作業したい人向けのところだと思う。

自分は社協経由でがんばるくらいがちょうどいいかもしれない。
そんなことを思いながら帰路についた。


9/3(1986日目)
昨日のボランティアで全身が筋肉痛だ。
今日は何度か外出をしたので、よく汗をかいた。

筋肉痛をどうにか対策したかったので、湿布を買おうかと考えたが、肩に貼るとすぐはがれそうでイヤなので塗るタイプの消炎剤を買う。

帰りのフェリーの中でスマホを忘れたことに気づく。
どこに置き忘れたか思い出してみると、職場に置き忘れていたことを思い出した。
スマホを忘れると朝起きるためのアラームがなくなる。
そこで急遽電気屋に寄り、目覚ましを買うことにした。


9/4(1987日目)
今朝は台風接近によりフェリーは欠航。
代行バスで時間を気にしながらたどり着く。

昨日なくしていたスマホは、案の定職場に置き忘れていた。一安心だ。



指導を受けるなかで落ち込みが強くなる。
やめようかと思ったほどだった。


2018/11/26

明日はクマが家にやってくる(1974日目~1980日目)

8/22(1974日目)
今日も不安が強く、午前中2度薬を飲んで落ち着かせようとした。
クマも絶不調のようだ。

午後も不安やそわそわとした感じが続く。
手が空く時間は昨日よりも減ったもののそれでも勤務時間の半分は何もすることのない時間だった。

もらったチケットで野球の試合を観戦しにいく。
試合自体は悪くはなかった。ホームランも出て盛り上がりもあった。
ただ少し居づらさは感じた。


8/23(1975日目)
午前中は他部署の仕事で時間を埋める。

午後は不安が強く、落ち込みもある。
フェリーが欠航になったのでバスで帰る。途中ホームセンターでボランティアに行くときの装備品を買う。
一度ボランティアに行ったあとあんなものを揃えていればよかった、これはいらなかったとか反省すべき点が色々あったのでそこを生かして買うことにする。


8/24(1976日目)
手が空く状況は続く。
やはり不安はあり、午後になってからは少し落ち着いてきた。
朝強く、午後には少し落ち着く。不安に関してはもはやそれが日常だ。

明日から夏休みが始まる。
何日かボランティアには行こうと思う。


8/25(1977日目)
県がボランティアバスというものを用意しているようなのでそれに参加することに。
その予約をしておいた。


8/26(1978日目)
昨日予約していたボラバスに乗り込むために、7時に家を出る。
広島駅北口の集合場所にはポツポツと人が集まっていた。
受付を済ませると、呉・竹原・坂のどこに行きたいか希望を聞かれる。
自分は一番被害の大きそうな小屋浦に行きたかったので、坂行きのバスに乗ることにした。

災害から2ヶ月近く経とうとしていても、小屋浦はまだまだ復旧をやり始めたという印象だった。道端には土砂や土嚢袋が積まれており、その向こうの家の敷地にはまだ土砂や瓦礫が残っている。重機やトラックが動き回っており、狭い道を土埃が舞っている。
そんな道をひたすら登って依頼のあったお宅へ。
小屋浦の山手にあるそのお宅は土砂の片付けのめどはついたものの、斜面が崩れそうな箇所があるので、崩落をふせぐためのブルーシートをかぶせてほしいとのこと。
ただ、斜面は急な上、草木も生い茂っているため、草木は取り除き、押さえの土のうがおけるような平らな面を作る必要がある。
素人一人だけなら困難な作業だが、15名ほどと大人数のグループだったこと、この手の作業に詳しい方が現場監督となってくれたことで、目標内に終えることはできた。

小屋浦という地域は被害が大きいということもあってか、社協経由のボランティアと社協を通さず独自にボランティア組織を作ってボランティアを行う形態の2タイプが併存する箇所だった。
前者は経験の浅さを人数の多さでカバーして依頼に答え、後者は人数は少ないものの、特殊技能を持つ人や長期間ガッツリ取り組める人で構成された少数精鋭部隊で依頼に答えるという形態をとっているような印象があった。
どちらも小屋浦の復旧・復興がゴールだからいがみ合うようなことはなく、連携しあっているようだが、なんとなく微妙な距離感は感じられた。

作業が終わったのは14時半頃。ここから広島駅に帰るのだが、なかなかバスが来ない。
1時間ほどバスを待ち、渋滞にひっかかりながら広島駅に1時間で帰る。個人的にはボランティア作業以上にこの移動がハードだったような気がする。
7月のボランティアよりは元気が残っており、食事も完食。
これなら明日もボランティアできそうだなと安心し、眠りについた。

8/27(1979日目)
朝起きるとあちこちの部分で筋肉痛。
今日は行くのをやめようかなと思ったけど、行かないでいたら行けばよかったと後悔しそうだったからやはり行くことにした。
昨日と同じ小屋浦に行きたかったので、坂町のボランティアセンターを目指してJRへ乗り込む。
9時過ぎボランティアセンターに到着。説明を聞いていると、複数の地区での参加を募集しており、小屋浦はその中の一つのようだった。
中身を聞いていると、大抵の地区で土砂だしを行っており、歩いて10分くらいと割と近い。
小屋浦となると、
バスを待つ→バスに乗って移動→バスを降りてサテライトまで移動→さらにサテライトから現場に移動と、移動だけで時間がかかりそうだったので近い地区で土砂だしができるところに行くことにした。

そして向かったのが坂地区。
坂町のなかでも山手のほうで、昔からの住民が住んでいる地区。
町の真ん中を流れる総頭川が氾濫したことで川沿いに大量の水と土砂が押し寄せたところだ。
その中の一軒のお宅で床下の土砂だしを中心に作業をさせてもらうことになった。
畳と床をはがしているので直接土砂をすくえるものの、梁が残っているので足元は悪い。
時々スコップが梁に引っかかりながらも、バケツに泥混じりの土砂をすくっては運び、すくっては運びの繰り返し。
昨日より泥や土砂が足元やズボンにつきながらの作業。汗もびっしょり。
頭のてっぺんから足先まで汗に濡れながら作業にひたすら取り組んだ。

作業自体は相変わらずきついものの、チームの雰囲気は昨日より一体感があり、いい雰囲気で作業できたように感じる。
個人的には県外からの参加者が多いのに驚いた。群馬から夏休みを利用してきた若い女性、仙台から来た男性、福岡から来た大学生。チームの半分以上は県外の人だったと思う。
東北の震災のころからボランティアに参加していて誰よりも場数を踏んでいる男性には驚かされた。
普通のスコップではすくいにくいような箇所の土砂出しには、サバイバル用の小さいスコップを用意し、梁に打ち込まれたままの釘が抜けないときは、バールを用意してさっと抜く。ここにもスーパーボランティアがいたと素直に感心した。

昼食時間、チームのリーダー(この人は坂町在住で地元の人と顔が利く)から坂町でこれほどの被害が大きかった背景を聞いた。
一つは地質と地形の問題。土質がサラサラしたまさ土なので、水を含むとあっという間に崩れる。そして坂地区は地形が急なので山が崩れると一気に流れてくる。
2つ目は水害対策の不十分さ。急な地形を流れる総頭川は上流に砂防ダムを築くなどハード面では一応水害対策を施していた。しかし、小規模河川ゆえ、水害を想定したハザードマップを作っていなかった。住民は津波や高潮が来たらどれほどの被害を食らうか想定できても目の前の川が溢れたらどうなるか想定しにくい状況だった。
3つ目が宅地化。坂地区では明治末期にも今と同じような規模の水害が発生している。気象予報や防災技術が発達した今になっても同規模の水害が発生してしまったのは、明治末期に桑畑が広がっていた土地に住宅が立ち並ぶようになり、そこに水やら土砂やらが流れ込んでしまったからなのだそうだ。
まさ土が被害を拡大させたのはニュースで知ってはいたが、坂町特有の事情は知らなかったので、ここで被害が大きかった理由をより深く理解できた。

福岡から来た大学生と仲良くなる。
水害報道を見て、自分でも何かしたいという思いにかられ、18きっぷで坂までやってきたそうだ。
坂までやってきたはいいが、泊まるところが確定せずどうしようか考えていたところ、テントを張って寝泊まりしながらボランティア活動しているという団体に泊まっていきなと誘われ、そこで2泊過ごすことにしたとのこと。
ただ、その団体は時間を決めず独自でボランティアをしているようだったので、ペースがわからずボランティアをするわけにはいかないと社協経由のボランティアに参加することにしたとのことだった。明日もボランティアをするとのことだった。

今日はびっしょりと汗をかいた。
疲れよりも汗がまとわりついていることの不快感がつよい。
帰ってすぐシャツやらズボンやらを脱ぎ、きれいな服に着替える。
予定もなければ明日も同じ坂町でボランティアをする。今日チームで一緒になった人と再会するかもなと思いながら床についた。


8/28(1980日目)
今日もボランティアに行く。
坂地区で今日もやろうかと思っていたが、遅くにきたせいか自分は小屋浦地区へ送り出された。

この日の現場は床の上に数十センチも土砂が堆積した家。
家主さん曰く、上流の砂防ダムが決壊してそこに溜まっていた泥や土砂が一気に流れ込んだとのこと。
今回はベテランボランティアの指導のもと、ひたすら土砂を掘り、一輪車で運ぶ作業。
量が量だけに、1日で終わる量ではない。それでも台所とおぼしき場所の床が見えたときは頑張ったかいがあったと感じる。

今日はよく働いたと思う。
明日はクマが家にやってくる。



2018/11/25

これも付き合い上仕方のない行動だった(1967日目~1973日目)

8/15(1967日目)
一日中落ち込みが続いた。薬を飲んで落ち着かせてみる。

とうとうスマホを買い替えるときがきた。
思えばこのスマホを買ってから5年は経った。Androidのバージョンは古くてPokemon GOもダウンロードできない。この機種の売りだった電池長持ちも、5年も酷使するとフル充電してちょっとネットサーフィンしていたらあっという間に電池切れ。

5,6月ごろから買い替えを考えていたがグズグズしていた。
8月になってようやく買い替えに動くも、手続き上の不備だとか店側のミスだとかで遅れていく。
そしてようやくスマホを手に入れた。
この日は店側のミスもなく、土曜日に大方の手続きは済ませていたこともあってスイスイ進んだ。スマホの機種変のついでにWi-Fiの契約もした。

新しいスマホは何もかもが新鮮に感じる。これならPokemon GOも余裕でダウンロードできるだろう(ただ今はPokemon GOは全然する気にはならない)。
今まで人目をはばかるように使ってきたが、これなら人前でも堂々と使える。

スマホケースも買い、フィルムも買った。
早速フィルムを貼ってみたが、うまく貼れず空泡ができてしまう。何度かやり直すうちにフィルムが指紋で汚れてきて吸着力も少し落ちてきた。
もうこれは誰かにやってもらおう、ということでなるべくスマホの画面が汚れないように心がける。


8/16(1968日目)
午前から手空き気味だった。
薬を飲み忘れたせいで、不安が強く、気分の落ち込みもある。

14時頃雨と一緒に雹も降ってきた。大雨も降り出してきた。
大丈夫かと心配していたが雹も雨もすぐやんだ。

帰りはJRの代行バスで帰る。
こっちのほうがフェリーより断然早い。
ただ、他の人と帰っているのでいつも代行バスで帰るわけにはいかない。

帰りにビックカメラに寄る。
目的は唯一つ。スマホ用のフィルムを貼ってもらうこと。
昨日フィルム貼りに失敗したあと、あれこれ検索したらビックカメラはそういうサービスをやっていることを知ったのだ。
500円はかかったが、確実かつ丁寧にフィルムは貼ってくれた。
これで画面に直接キズがつくことを気にする必要がなくなった。


8/17(1969日目)
湿度が低いので、気温が高い割には暑くない。ヨーロッパあたりの夏はこんな感じじゃないかと思う。

今日も手が空く。
役に立つかわからない資料を作って時間を潰した。


8/18(1970日目)
病院に行く。
その途中で自転車がパンクしてしまう。押していきながらでは間に合わないので無理させてガタガタいわせながら病院へ。

病院が終わったあとトロトロ押しながら自転車屋へ。
自転車屋へ行くと15時まで時間がかかると言われてしまった。
近くにショッピングモールがあるので、そこで時間を潰すことにした。

15時過ぎに行くとタイヤも取り替えられ空気も入れてもらって快調に走れる。
ようやく家に帰れた。
長い外出だった。


8/19(1971日目)
髪がすっかり伸びていたので、髪を切ってもらいさっぱりする。

この日はボランティアには行かなかった。


8/20(1972日目)
午後から手が空くようになってどうすればいいのかまた困る。

今日からフェリーで再び帰る。
本当は代行バスで帰るのが早いことは知っている。でも付き合い上フェリーで帰るほうを選んだのだ。


8/21(1973日目)
今日も手が空いてしまう。勤務時間のうち2/3は何をしようか困った状態だった。

午後明日の野球の試合のチケットを貰う。
正直そこまでほしいとは思わなかったが、自分がもらわなければ誰も貰う人がいないようなのでもらうことにする。
これも付き合い上仕方のない行動だった。

2018/11/24

明日は帰りにスマホを買い替える(1960日目~1966日目)

8/8(1960日目)
今日はほとんど他部署の仕事ばかりやっていた。

スマホの機種変をしようと思いたち、必要書類を揃えて携帯ショップへ行く。
が、書類の一部に不備があって受け付けてもらえなかった。
帰宅したときには新しいスマホで色々いじっていると思っていただけに悲しい気持ちになった。
やけ食いをしたくて牛丼屋によって牛丼特盛をかきこむ。
何かの小説の中に牛丼をやけ食いするのを見て一度真似して以来、やけ食いするときは牛丼と決めている。


8/9(1961日目)
21時から5時と割と眺めに寝ていたけれど眠気は残っている。
手が空き気味なので他部署の仕事を行う。

午後になっても引き続き手が空いてしまう。
孤独感を感じる。


8/10(1962日目)
腹痛や左足首の痛みに悩まされる朝だった。

手が空いているので資料を作ってみるも無駄な時間になってしまった。
別の資料の再作成に追われ、午後は比較的バタバタしたが帰るまでに片をつけられた。


8/11(1963日目)
山の日。
もっとも、この日は土曜日なので何の感慨もない。

スマホの機種変がうまく行かなかった件について。
不備のあった書類も揃えて携帯ショップへ。今日こそ滞りなく手続きが進み、帰るときには新しいスマホを手にしていると思っていた。
が、手続きを進める中で店側がミスをしたみたいで今日中の手続きが先に進めないとのこと。がっかりしたが、店側はmicroSD代を無料にしてくれるという。次の水曜日に行くことにして店をあとにした。
がっかりしたといっても、そこまでがっかりはしていなかった。
5,000円ほどのmicroSD代はタダになるし、今の機種は5年も使い続けてきたので数日新しいものが手に入るのが遅れてもそこまで気にならないのだ。


8/12(1964日目)
外出は買い物に出たのみで、一日家で過ごした。


8/13(1965日目)
眠い。どうしても眠いときはカフェイン錠剤を飲んで眠気を飛ばしている。しかし今日はそれを切らしていた。おまけに落ち込みがある。

さらに午後、電話対応で理不尽な言われ方をしてしまったことでものすごく落ち込む。
その後も落ち込みから立ち直れず、低調なまま続いてしまった。


8/14(1966日目)
眠く、手が空き気味。頭痛もする。
明日は帰りにスマホを買い替える。


2018/11/22

これ以上のことはわからない(1953日目~1959日目)

8/1(1953日目)
3時間半しか寝られなかった。睡眠時間3時間半というのはだるい。肩に大きな荷物を背負わされているようですごく疲れる。

昨日他部署の仕事をしたので、今日もそれがやってくるのではないかと思い、早め早めに作業を行う。
そうして来る仕事を待っていたが、やってこなくて肩透かしを食う。
今日も手が空いてしまった。

今日はフェリーではなく、高速船で帰った。
船内は息苦しいので、外の風が当たるところに席を移す。

移動は快適だった、
揺れはあるものの、ひどい揺れではない。風が心地よく、船べりの座席では波しぶきが少々かかる。それがミストシャワーの如く気持ちいい。
そして速い。毎日これだったらいいのにと思わずにいられなかった。


8/2(1954日目)
相変わらず暑くて汗がタラタラ流れる。

この日は午前中は少々厄介な表作りに勤しみ、午後からは他部署の仕事に取り組む。
今日は手が空く状況ではなく、夕方一息つける程度だった。


8/3(1955日目)
だるくて、あまりやる気も出ない。
こういうときは気分転換。外に出てカレーを食べる。

やる気がないながらも最低限やっておくべき作業は進めておいた。


8/4(1956日目)
一日寝て暮らした。


8/5(1957日目)
10月末にある試験を受けてみようかと思う。
テキストと問題集が発売されだしたので、それを買う。
さっそく中身を見てみるが、チンプンカンプンなものが多い。
まだ2ヶ月以上あるので、時間を作りながらコツコツやろうかと思う。

借りていた本を返す。
電車移動ができなくなって、本を読むことがめっきり減ってしまった。
資格試験も控えている。しばらくは読書から遠ざかるだろう。


8/6(1958日目)
朝からどんよりとした気分が覆う。
暑さが続くので替えのシャツに着替えて少しでもいい状態にしようとする。

午後になってもどんよりとした気分は続いた。
めったにやらない電話をかけるということもやったので緊張が続く。


8/7(1959日目)
やや眠い。
これ以上のことはわからない。

自分が好みそうなテイストのアニメだった(1945日目~1952日目)

7/24(1945日目)
イライラが強い。
手が空いているというのもあるからだろう。

夏休みを8月末に3日連続でとることにした。
正直夏休みなどいらないと思った。
休むにあたっていろいろな人にお願いを回って、休み明けにはお礼参りをしないと行けない。それが苦痛だ。


7/25(1946日目)
眠くてだるく、おまけに手が昨日以上に空いている。
いつもは短めの休憩をとっているが、この日は1時間まるまる休憩に充てる。

時間があるので外食する。
おいしいところではなく、あえてまずいと評判のうどん屋に行く。
丼ものはそこそこ美味しいが、麺がまずいらしい。
海老そば定食を頼む。
確かにそばはまずかった。麺は硬く、噛まないとスルスル入っていかない。汁はスーパーで売っている市販のうどんだしと全くそのままの味だった。
海老天は悪くない。評判通りの店だった。

午後は気分が悪く、吐き気もあった。


7/26(1947日目)
相変わらず手が空く状況が続く。
午前はさほど手が空かなかったが、午後から手が空き気味になりどう時間をつぶせばいいか困った。

帰りに定期の払い戻しに行く。長蛇の列ができてるかと思っていたが人は全然いなかった。
ついでにOS-1を買っておこうと思い、スーパー内の薬品コーナーへ。
すると、物は全然置いてなかった。熱中症を警戒してみんな買い込んでいるのだろう。


7/27(1948日目)
今日も手が空く状況に変わりない。
自分が作った資料を色々手直しさせられるので気分的に落ち込む。

職場内では、週末来る台風に備えるために会議だ連絡網の確認だを行っており、慌ただしい。
一方で職場からボランティアを派遣するということで、ボランティアに貸し出す装備の準備を手伝った。


7/28(1949日目)
昼過ぎまで寝る。
やや風は強いがまだ雨は降っていない。今のうちにと買い物を済ませておく。


7/29(1950日目)
台風がやってきた。昼頃雨が強く降り、本格的にやってきたと感じるが夕方には雨がやみ少しだけ風があるという状態になっていた。
二次被害もなかったようで何よりである。


7/30(1951日目)
台風が過ぎたせいか、風が抜けて涼しく感じる。
いつもは午前中一回シャツを着替えないといけないほど汗をかいているが、今日は気持ちいい涼風のおかげでシャツを着替えることもない。

この日も手が空いて大いに困った。


7/31(1952日目)
JRが予想よりかなり前倒しして復旧するとの知らせを聞いて、たいへん驚いた。

部分運転の区間はどうやって運転するのか、気になる。

この日も手空きがあって困っていたが、午後になって他部署の仕事が舞い込んできてそれに対応することに。助かったと思う。

ネットサーフィンをしていたら深夜バカボンというアニメが面白いというので、それを見てみる。
確かに面白い。自分が好みそうなテイストのアニメだった。

2018/11/15

そうしないときれいなシャツが用意できないからだ(1931日目~1944日目)

7/10(1931日目)
この日もフェリー通勤。
この日をもって臨時便は最後とのことだった。

午後は手が空くことが増えてきた。
帰りは方向が同じの、フロアが同じ人と帰る。
話しやすい人たちばかりなのがいい。


7/11(1932日目)
いつも定例で作っている資料をもう少し早く出せないかと言われた。
月初は色々やることがあって手一杯なのに、まだやることを増やすのかと怒りの気持ちが湧く。

夜Twitterを見ていると、下道の国道が通れるようになったというニュースが流れてきた。
これでバスで通えるようにもなったが、遅刻のリスクを考えると、まだまだフェリー通勤は続きそうだ。


7/12(1933日目)
この日は届いた支援物資の受け入れ、仕分け、搬出を実施。大いに汗をかく。

夜、母親から電話があった。
交通が寸断されているのでどうしているのか気になったとのこと。報告をする。
今日から下道が通れるようになったせいか、フェリーは割と空いている。席を選ばなければ座ることはできるようになった。



7/13(1934日目)
支援物資を配る作業が本日のメイン。
合間合間に通常の仕事もやるので、忙しかった。
支援物資の配り方もあちらではこうせよ、こちらではこうせよと一貫しておらず不明瞭だった。
この日は更に支援物資を仕分けするということで残業。帰り着いたのは22時前になった。

この日の帰りのフェリーはじゅうたんの上にソファがあるという良い客室があり、そこでゆっくりできた。


7/14(1935日目)
クマの都合が良いみたいなので、駅ビル内のカフェであう。
一緒にパフェを食べながら、近況報告をし合った。


7/15(1936日目)
ボランティアに行こうと思い立つ。
ただ、必要な装備が不足していると感じたので、飲み物含め諸々を調達。
装備類を調達して帰宅。ツイッターを確認すると今日は受付を締め切ったところが多いので今日行くのは見合わせた。


7/16(1937日目)
災害ボランティアに行く。
現地の受付に8時頃に着いた。以前別の場所に行った時は、7時前でも行列ができるくらいだったから、人数が少なかったことに拍子抜けした。

一番乗りしたグループのようで、それほど待つこともなく、出発。
この日は民家の床下に溜まった泥のかきだしと、水につかった家財道具の搬出。

泥のかきだしは思った以上にしんどい。
最初はペースもわからず飛ばしたせいでヘトヘトになる。
だんだん要領が分かって、自分は鍬で泥をかき出してあつめて、土嚢袋に入れる係に徹した。

15分作業15分休憩のターンで行ったが、こうでもしないとやっていられない。暑くて水分が汗で抜けていく。足元も悪いので転ばないように気を遣う必要もある。
ペースを少し落としながら、なんとか泥出しをやり通した。

後半は家財道具の搬出。
特にきつかったのが水を含んで重くなった畳の搬出。これは参加した全員が息を上げて途中休憩せざるを得ないものだった。

少々フラフラになりながらもなんとかやり通せたのが良かった。
今回の災害は広範囲に渡り、かつ交通網も限られている箇所が多い。
息の長い支援が必要と感じた。

帰宅後は汗だらけの衣類を脱ぎ捨てて、すぐシャワーを浴びる。
とにかく部屋を冷やして食べられるものを食べて、そして寝る。

寝ることで体力が回復し、どうにか明日からのフェリー通勤に耐えられる状態まで戻せた。


7/17(1938日目)
今日も支援物資の仕分けに追われる。
自分は汗っかきの人間である。加えて今年の猛暑。シャツを2回着替えるほど汗をかいた。
一体何のために遠いところから職場に来ているのかと思う。


7/18(1939日目)
疲れが溜まっているせいか、腕の力があまり入らない。
大丈夫だろうかと心配していたが、少しずつ回復してきた。

クマからは熱中症対策には水をガブガブ飲むのではなく、チビチビ飲むことを心がけようと言われた。喉が渇いてもチビチビ飲むことを心がける。


7/19(1940日目)
出勤の途中から汗をかいてしまい、来る頃にはシャツを着替えようかと考えるほど汗をかく。
少しでも汗がシャツ下に流れないように、首にタオルを巻いて出勤する。

業務上のことで質問をされてもその意図がよくわからない。
ここ数日の肉体的疲労というよりも、精神面の疲労があるように感じる。


7/20(1941日目)
睡眠時間が短かったせいか、行きのフェリーの中で居眠りをするほど眠い。
力仕事はこの日は午前中だけだった。


7/21(1942日目)
この日は特に何もなし。


7/22(1943日目)
この日は特に何もなし。


7/23(1944日目)
様々な仕事をこなせばならないため、少々イライラする。
最近は睡眠時間も短く、眠気が午後になっても取れない。しんどくないかしんどいかと聞かれたら、しんどいと答えるだろう。

汗はタラタラかきつづけるので、毎日のように洗濯機が回る。
そうしないときれいなシャツが用意できないからだ。