あとがき欄に放り込んでも良かった前書き
いつか切手を集めていることをブログの記事に書きたいと思っていました。
たまたま書く気になって箇条書きで書きたいことを綴っていたら、切手収集をどうライトな表現に言い換えるかという箇所で脳内実況の形でダラダラ長文章を書き始めたので、変なスイッチが入ってレポートに出してもいいくらいの文字数(4000字程度)だけ書きたくなりました。書き終わってカウントしたら3600字弱で、めちゃくちゃな文章だけど、自分の頭の中のことを70%くらい文字化することが出来ました(100%とか無理)。
ちなみに自分の好きなことをこんなに長い文章にまとめたのは初めての経験です。
書いた本人がびっくりしています。
前書きの前書き
頭の片隅に4000字というのが残っているらしく「前書き」を書いている時もこれで4000字行くかなとそればっかり考えていました。「前書き」を書き終えて改めてカウントしたら3893字でした。あと107字文字を入力したら念願の4000字に達するというわけです。たぶんこの文章を書いたことでようやく4000字に達したことでしょう。
本文はここから↓
まず言っておくと自分はライトな切手収集家だ。
(これを言っておかないとガチで集めている人と思われてしまって色々ややこしくなると思う)
自分が切手を集めるようになったのは休学中に始めた文通がきっかけだ。
レターセットを選ぶセンスがない(そもそもオシャレなレターセットなんか近所に売っていない田舎に帰っていた)のでせめて切手は、、と記念切手を使うように努めていた。
郵便局で記念切手を選んでみると、毎月毎月次から次にたくさんの種類の切手が出ていて、それを販売されるたびに買っていると、200枚近く集まっていた。
これほど集まるとたくさんの切手をもっと欲しくなる。その所有欲に目覚めた自分はこれまでの記念切手コレクションを拡大する形で切手の収集を始めたのだった。
ガチで集めている人との違いを感じるようになったきっかけは自分はとにかく全種類の切手をコンプリートしたくて、しかもそれに状態の善し悪しはそれほど求めていないということに気づいたことである。
ガチで集めている人はマウントとかリーフとかヒンジとかいうやつ(それぞれが何のことを指しているのかよくわからない)で切手アルバムを構成して集めているらしい。ストックリーフというもので集めている人もいるが、それは切手収集のレベルではないらしい。
(ソースはブックオフで立ち読みした「キッテデカ」という漫画。これを読んだ時ストックリーフすら使わず封筒に放り込んでいる自分は巨大なハンマーにふっとばされたような衝撃を受けた。)
だからガチの人に切手を集めていると聞かれるとリーフとかヒンジとかいう話題になってもなんとも答え難いので、切手収集を公言するのが恥ずかしい。
だからあえて言うならライトな切手収集家なのだ。
さて、切手を収集するうちにいつの間にかマイルールが決まっていた。
1,まず集める切手は戦後に発行された日本の記念切手。それも使用済みに限る。
全世界の切手を全部集めるなんて、30回くらい先進国で死んで生まれ変わるを繰り返しても無理である。だから戦後に発行された日本の記念切手と時期と国を限定する(戦後に限定したのはデザイン・量ともに大量発行されているので集めがいがある&集めやすいから、日本としたのは切手にデザインされた題材を学習できるから)。そして未使用だと恐ろしいほどの出費を強いられる。そのため使用済みを集めることにしている。
2,集めた切手は種類と料金別に区分けする
本当は集めた切手のデータをExcelで打ち込んでいつか「サクラ」と打ち込んだら自分が何種類サクラの切手を持っているか把握出来ればと思うのだが、実際はなかなかデータ入力はできていない。
そこで、暫定的に今は切手の種類ごとに分け(普通か記念切手か年賀切手か→記念切手はふるさと切手か特殊切手かグリーティング切手か)、さらに記念切手は料金ごとに分けている(時期によって郵便料金が違うので料金ごとに分けると時期ごとに自動的に分けられることになり、あとで調べるのに便利)
3,使用済み記念切手は1枚1円以下かつまとめていないと買わない
使用済み(で消印や美品にこだわっているわけではない)だから自分のやっていることは他の人からしたら紙くずを買っているようなものだ。それに金がないのであまり趣味にハマりすぎても困る。ということでこの価格設定は譲れない。あと、大量に切手がとどいてそれをばらして分類している瞬間が一番楽しいので一度に購入するなら何百枚単位で買いたい。
4,「当たり」切手を決めて集める
戦後の日本切手といっても何千種類も図柄がある。それをやたらめったら集めていてもつまらない。そこで、これを集めたら「当たり」というか一区切りを迎えるなという目標の切手を決める。
目標の切手はいつ出てくるかわからないので、ちょっとした宝探し感覚を楽しめる。
こうやって書いていると集めるまでの過程が楽しいんだと気づいた。
実際切手を眺めるということはあまりない。封筒に放り込んでばかりいる感じだ。
というわけで自分はライトな切手収集家なんだと思う。
話題は変わるが、自分の趣味を紹介する時に「切手収集」と言いたくない。
(いい趣味ではあるけれど)2013年現在切手収集はオジンしかやらない古臭い趣味と捉えがちで、
若い人間のやる趣味ではないと考えるからだ。(あと上に書いたようにガチで集めている人と比べると我が道を行く感じの集め方をしているので公言するのが恥ずかしい)。
実際言うと年代によってはっきりと評価がわかれると思う。
(50代より上→割りと高評価、そして自分も昔集めていたという自分語りに走る 50代より下→今時の若者にしては珍しいとびっくりもとい軽く引く。ソースは前の彼女)
でもどうしても自分の趣味は切手収集なんですと言いたくなる時もある。
しかし、切手収集という言葉がまずい。
なんというか、かっちりとした響きで高尚で敷居の高いイメージを匂わせるからだ。
そこで切手収集という言葉を自分なりに言い換えたいと思う。
まず漢字を外来語に切り替えてみる。
切手をスタンプ、収集をコレクトにしてみると、
切手収集→スタンプコレクト
これで多少ライトかつオシャレな感じになったがおかしな単語になってしまう。
そこでスタンプかコレクトのどちらかを元の漢字に戻してみる。
切手コレクト
スタンプ収集
響き的にスタンプ収集のほうがしっくり来ると思う。
しかしこれではゴールとはいえない。
なぜなら収集という単語そのものに地味に1人で集めているという印象を与えてしまっているからだ。
だが収集を言い換える単語は今思いつかない。
どうしようかと考えているとハッと思いついた。
自分は記念切手を集めているではないか、
記念→メモリアルとつければ
記念切手収集→メモリアルスタンプ収集
これでいいではないか!
と思ったのがこのブログを書く直前に思っていた「ゴール」である。
書くうちに気づいた。
収集ということばは、集めるという単語に変換可能ではないかと。
それにメモリアルスタンプとは一般的に知られていない(というかガチの切手収集の世界でも通用しない)単語になっている。
となると、この一考察はまた振り出しに戻るということである。
切手を集める これだとライトな感じを出せている。
しかし、イマイチインパクトがないというか、オシャレではない。
そこで切手の中でも(多少事実を歪曲して)「きれいな記念切手」を集めているということにして
「趣味はきれいな記念切手集めです」と言い換える。
いや、集めというとちょっと堅苦しくなるからもっとライトな表現はないか。
「趣味はきれいな記念切手を集めています」
これだと言い切った表現ではないのでいいよりライトな印象を与えられる。
しかし文章がおかしい。
そこで、
「きれいな記念切手を集めるのが好きです」
もう一つ
「きれいな記念切手が好きで集めています」
後者の方が印象がいいが、集めていますというと言った感じが「たまたま手に入ったら取っておきます」的な印象を与えているようで、意欲的に集めているという印象を与え難い。
そこで
「きれいな記念切手が好きで、たくさん集めています」
と「たくさん」の単語を盛り込むことで意欲的かつ割りとガチで集めている印象を与えるような表現に言い換えた。
今のところこの表現がもっとも適切な表現だと思う。
適切とは、オジン臭さを徹底的に排除し、スタバでなんとかフラペチーノを飲んで飲みかけのフラペチーノをiPhoneで周りをぼかして撮影方法で撮影して、ツイッターに「スタバで休憩なう」とかつぶやいてリツイートかリプライかわからんものをもらっている20代後半の独身女性がサラリといっても通用しそうな表現ということだ。
と切手収集をいかにライトな表現に言い換えるか滔々と語ってきたが、最後に切手収集のいいところを書いて終わりにしたい(本当はこれをメインに書くべきなのだろうが)。
まず切手はデザインが豊富にあり、使用済みに限って言えば1枚1円以下で大量に手に入る
というところがいい。
そして場所を取らない(これから一生集め続けても収納スペースは押入れの下の段で収まると思う)
一人でやる趣味なので周囲に迷惑をかけるような趣味でない、むしろ趣味の格が違うといえる。
そしてもちろん切手自体にも魅力がある。
切手のデザインにされる題材は、人類が未来に残したいものばかりである。
美しい自然、歴史的建造物、後世まで語り伝えたいイベント、国家の偉業、歴史に名前を残した有名人、いつまでも人々に愛される日常風景、、、
それが集約されているもの。それが切手だと思う。
手のひらに乗っかった数センチ四方の紙切れに、
僕らがいつまでも覚えていたい地球と人類の記憶が込められているなんて思うと、
たとえ使用済みの紙切れでもとても美しい芸術作品に見えてくる。
だから自分は切手が大好きだ。
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